トゥタックの代表的な鳩料理、「スルタンのメッセージ」
トルコの「旨味」の基本は、トマトと乳製品だ。それをいまの時代に合う軽い味わいで表現するために、フェタチーズをトマトのコンソメに入れて抽出し、クリアな味わいに仕立てる。日本料理のだし汁にインスピレーションを得た方法だ。
さらに、トルコで醤油のように使われている「ガルム」という魚醤。ローマ時代からの歴史を持つ古典的調味料で、通常は鯵などの魚の内臓からつくられる。魚の内臓ではなく、もっと旨味とミネラルを含む、牡蠣でつくってみたらどうか。古い文献を探し、15世紀にオスマン語で書かれたレシピを見つけ、それをアレンジしてオリジナルのガルムをつくり、同じタイプの旨味成分を持つ焼いたホタテに合わせた。
プレゼンテーションも工夫した。鳩を供する際には、かつてのスルタンが伝書鳩として重宝していたという逸話から、「スルタンへのメッセージを運ぶ途中に撃ち落とされた鳩」という設定で、鳩のローストの足に「スルタンから」ではなく、由来を書いた「シェフから」の手紙を結び、「血」のようなビーツのピュレと共にするなど、ストーリー性も楽しめるようにした。
少しずつ、地元バンコクのメディアに取り上げられるようになり、口コミで海外からの食事客も訪れるようになった。やがて、本場トルコからも最先端のトルコ料理を食べたいと、多くの食通たちが訪れるようになった。
さらに状況を大きく変えたのは、去年の12月。約束通りアドゥリスがバンコクにやってきて、「ザ・ハウス・オン・サトーン」でのポップアップイベントという形で、「ムガリッツ」の料理を披露したのだ。トゥタックも前菜を担当し、夢の共演を果たした。そのニュースは、モダントルコ料理の「ザ・ハウス・オン・サトーン」の名前を広く世界に知らしめることになった。
アジアのベストレストランにランクインしてからの大転換。「成功したから良いようなものの、よく思い切りましたね」とトゥタックに聞くと、「意外に臆病なタイプなんですよ。でもだからこそ、その恐怖にチャレンジして、戦いたくなるんです」
優秀な冒険家ほど、臆病だという話を聞いたことがある。危険を冒す仕事だけに勇敢な性格だと思われがちだが、臆病だからこそあらゆるリスクに対応する手立てを考え尽くし、その結果、成功を手にするのだという。物事に真摯に向き合えば向き合うほど、感じる恐怖感は深い。それと同じように、深い恐怖感は、より強い原動力となってトゥタックを駆り立てたのだろう。
「メニューを変えると決めてから、料理のことを考えて考えて考え抜いて、考えすぎたせいか毎日眠れなかった。やっと眠れるようになったのは最近のことです」
そんな苦しかった時期を超えて、いまは「ザ・ハウス・オン・サトーン」は連日満席の日が続いている。「聞いたことがない」と客が踵を返したレストランから、「聞いたことがない」と客が足を運ぶレストランへ、大逆転を果たしたのだ。
さらに、嬉しいニュースが舞い込んだ。トルコで18年の歴史を持つグルメ雑誌「GECCE MEKAN OSKARLARI」で、ベストシェフ・オブ・ザ・イヤー2017に選ばれたのだ。故郷を離れて12年。モダンなプレゼンテーションで、本物のトルコ料理を提供していると認められ、ファティ・トゥタックは故郷に錦を飾ることになった。
レストランには、トルコから一日に少なくとも10から15件の問い合わせが入る。その多くがトゥタックのもとで研修をしてみたい、というトルコの若者からだ。彼らをトゥタックはなるべく受け入れるようにしている。若い同志たちを育てたい、かつての自分のような海外へ出かけて夢を抱く若者をサポートしたいと思っているからだ。
その思いは、トゥタックに人生の転機を与えた「ガストロマサ」の主催者であるソーゼン氏も同じだ。「ガストロマサ」に招かれた世界のトップシェフなどの対応には、トルコ料理界の将来を担う地元の料理学校の生徒たちも加わった。
世界のベストレストラン第3位「アル・サリェー・ダ・カン・ロカ」のジョアン・ロカもトルコ料理にインスパイアされた料理を紹介
大学院で財務の博士号を取った後、好きなことがしたいと、料理学校「コルドンブルー」のイスタンブール校に通い始めた27歳のジャナンは「こうしてトップシェフと話せるのは素晴らしいし、海外で働きたいという夢を持つようになった。将来は日本かスペインで料理を勉強してからトルコに戻り、両親が育てているぶどうでワインをつくり、ペアリングと共に提供するレストランをつくりたい」と語る。
「ガストロマサ」のカンファレンスの合間には、海外の有名シェフにサインを求める学生たちの姿も見られ、ソーゼン氏も「ここ数年で料理を志す若者がトルコには増えた」と目を細める。
「世界三大料理」に数えられるトルコ料理の復権に向けて、いま確実に新しい種が芽吹き始めている。