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2017.12.18 08:30

不老不死に挑む医療界の反逆者 クレイグ・ヴェンターの新たな野望


すると、ヴェンターの元には、研究機器メーカーのパーキンエルマーから、自社の最新型DNAシーケンサー(配列解読装置)を使って今度はヒトのゲノムを解析しないかと持ち掛けられた。これを断るわけにはいかなかった彼は1998年、セレラ・ジェノミクス社を設立した。同社は、米政府などが30億ドルの資金を投じ進められていた国際コンソーシアム「ヒトゲノム計画」を追い越した上に、いずれも重要な実験動物であるショウジョウバエとマウスのゲノム解析に成功した。

ヴェンターはその過程で、世界中の科学者の怒りを買った。こうした研究は、利益の追求ではなく、知の追究に動機付けされるべきだ、というのが理由だ。ノーベル医学生理学賞を受賞した分子生物学者のジェームズ・ワトソンは当時、立腹のあまり、ヴェンターをアドルフ・ヒトラーになぞらえたと伝えられている。

だが民間企業からの圧力は、研究の手法改善と加速をもたらし、最終的にセレラとヒトゲノム計画の双方で結果につながった。そして両グループは2000年6月26日、ホワイトハウスで行った会見で、ヒトゲノム解析の完了を共同発表するに至った。

セレラはドットコム・バブル真っ只中の2000年2月、株式公開で8億5500万ドルを調達。同社の時価総額は、バブル崩壊直前の同年3月のピーク時には140億ドルに達し、ヴェンターの保有株式の価値は一時7億ドルを超えた。彼は保有株式の半分を、自身が設立したNPOに売却。同NPOはさらにその半分を1億5000万ドル余りで売却した。彼の研究資金は、今もこの株式売却金によってまかなわれているという。

セレラは画期的な研究結果を残したものの、それを新薬や診断方法の開発につなげられずにおり、ヴェンターはこの点をめぐり役員らと常に衝突していた。役員らはセレラを、社内で新薬開発を行う巨大製薬企業に育て上げようとしていた。だがヴェンターが目指していたのは、自社のデータを他社に売却する研究機関としてのセレラだった。

ヴェンターは2002年1月、ついに同社を解雇される。自身のストックオプションの4分の1が付与日を迎える数日前のことだった。「これ以上ないほど汚い解雇のされ方だった」と彼は語る。セレラはその後、大きな業績を上げられないまま、2011年、クエスト・ダイアグノスティクスに3億4400万ドルで売却された。

異端児が抱く新たな野望

ヴェンターが新たに設立したヒューマン・ロンジェビティ社は、セレラとヒトゲノム計画が抱えていた限界を越えることを目指している。その限界とは、これまでのゲノム解析で解読に成功したのは「平均的な」DNAだったということ。これは科学史上では非常に重要な節目だが、私たち個人にとって重要なのはそれよりも、DNAの個人間の「差異」だ。つまり、鼻の形や目の色の違い、そして病気の原因となる遺伝子はどれなのかを、私たちは知りたいのだ。

ヴェンターは、技術の進歩によってその「差異」を特定するためのデータ収集が可能になったと語る。ヒトゲノム計画では人間1人のゲノム解析に10年以上の期間と少なくとも5億ドルの資金が必要だったが、現在では同じことがわずか数日間ででき、費用も1000ドルほどしかかからない。

ヒューマン・ロンジェビティは手始めに、ロシュとアストラゼネカの大手製薬2社が行った臨床試験の参加者4万人のDNAを解析。このデータを分析したところ、若者にしかみられない遺伝的変異があることを発見した。これはつまり、こうした若者たちが、長寿とは相いれない遺伝子を持っていたということだ。これら遺伝子の機能を解明すれば、ゲノム解析によって人々の命を救うことも可能かもしれない。
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翻訳・編集=遠藤宗生

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