先日、東京のJ-WAVEで、「京都」をどこよりも深く掘り下げるスペシャルプログラム「KYOTO IS…」という2時間のラジオ番組を放送した。ナビゲーターは、企画・取材を担当した僕と、KBS京都の竹内弘一アナウンサーのふたり。東京のFM局と京都のAM局が組んで放送するという、なかなか画期的なコラボレーションだった。
番組では「継承と進化を語る京都人」として、かねてより懇意にしている京都の方々に出演していただいた。それぞれの経験に基づいた楽しいお話だったが、皆さんに共通していたことがひとつある。「京都は、人とは違うユニークな試み、魂のこもったチャレンジに対しては、たとえ結果が失敗だったとしても賞賛するし、フォローもする。逆に中途半端に何かをしようとする人は弾き出される」ということだ。
1689年から続く八ッ橋老舗ブランドのなかでも最古参の聖護院八ッ橋総本店。専務取締役を務める鈴鹿可奈子さんは、2011年に「nikiniki」というブランドを立ち上げた。カラフルなアート作品のようで、見かけは八ッ橋には見えないが、食べると間違いなくニッキの懐かしい味がする。
だが、鈴鹿さんはこれまでの八ッ橋を否定し、奇をてらったわけではない。「これは八ッ橋への愛なんです」とご自身が仰っていたが、もっと多くの人に八ッ橋を食べてほしくて、そのためのきっかけになればと新商品を開発したのである。
僕も正直、「八ッ橋ってこんなにおいしかったんだ」とあらためて思った。ちなみに八ッ橋の歴史をひもとけば、生八ッ橋は1960年、たかだか50余年前に開発されたもの。お琴の形に似せた干菓子が250年以上続いたあとの、かなり革新的な新参者が、いまでは八ッ橋の“顔”になったわけだ。
僕はまだ行ったことがないのだが、祇園に「浜作」という割烹がある。ここのご主人が書かれた『京料理の品格』という本に、ウィンストン・チャーチルの言葉が引用されていた。曰く、「伝統がなければ、芸術は羊飼いのいない羊の群れにすぎず、革新がなければそれはただの死体である」。
浜作のご主人も、聖護院八ッ橋の鈴鹿さんも、自らが羊飼いとなって、魂のこもった革新にチャレンジし続けているのだと思う。だからこそ、それは受け入れられ、支持され、愛されるのだ。
日本の文化は桶がつくってきた
中川木工芸の三代目、桶職人の中川周士(しゅうじ)さんのお話もたいへん興味深いものだった。
彼の祖父が手習いだった70〜80年前までは、桶をつくる工房は京都市内に250軒ほどあったが、いまでは3、4軒しか残っていないという。「このままでは桶という伝統工芸がすべて無に帰す」と感じた中川さんは、現在、料亭や高級旅館からの伝統的な桶の注文に応じるほか、洋の食卓でも使えるモダンデザインの桶も精力的につくっている。そんななか試行錯誤してつくりあげたのが、楕円の形が斬新なシャンパンクーラー「Konoha(このは)」だ。僕は、この美と機能が融合した新しい“桶”にすっかり魅せられた。
その中川さん、そもそも日本の文化は桶がつくってきたのだという。子が誕生すると、まずたらいで沐浴をさせられる。食卓では、飯が釜からおひつに移される。味噌も醤油も木桶に貯蔵されている。風呂桶に浸かり、死ぬときは棺桶に入る。「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざが象徴するように、日本人の生活は“桶”が支えていたのだ。