ただ、これらの施設のように、幼児教育で博士課程を持ち、長年にわたって現場を見て来た教師に巡り会える確率は、米国とてそれ程高くはない。逆に、日本とは違って、保育士のような国家資格や、幼稚園教諭の育成課程といったスタンダードが存在しないため、知識と経験に相当なバラツキがあるのが現実である。
公立のK-12(5歳児から中学3年生までの一貫校)では、州によっては幼児教育関連の単位を最低12-18単位取得して、4年生の大学の学位を持っていることを義務付けているところもあるが、私立の施設では、こうした基準を設けることさえできずにいる。前述のCalvin Hill Day Care Centerで長年学園長をつとめたCarla Horwitz博士に理由を尋ねると、圧倒的な人員不足、そしてその裏には処遇の問題があるという。
National Association for Education of Young Children(以下、NAEYC)によれば、米国内の幼児教育従事者の平均時給は10.40ドル。正確な統計が出ていないが、平均して職場の30%が毎年入れかわる程の離職率だと言う。さらに、連邦政府や州政府からの補助が不足しているため、日本では 95%が何らかの幼児教育に触れている4歳の時点でも、米国では31%の子どもたちが幼児教育を受けていない。この数字は、3歳児においては約50%。質の議論をする前に、圧倒的に量が足りていない状況である。
結果的に、特に生活困難家庭の子どもたちは幼児教育に触れることなく就学する確率が高く、学力に差がでるだけでなく、前回記事で触れたように、中長期に渡って社会適応能力にも差が出ている。
米国ではこの問題を重く見て、1960年代から貧困家庭の子どもたちだけを対象にした幼児教育プログラム「Head Start」が始まっており、一定の成果を出しているが、それでも5歳児までの人口およそ2000万人のうち100万人しかカバーできていない。2013年2月にオバマ大統領が、今後10年間で幼児教育に750億ドルの財政支出をすると決めたことの背景にはこうした米国の事情があったのである。
NAEYCでは、質の高い幼児教育施設が圧倒的に不足し、逆に決して理想的とは言えない環境や教育内容を提供する施設が増えている状況を見かね、独自に幼児教育施設の認可制度をつくり、教師の研修にも乗り出した。これまでに、米国内の7100の施設がNAEYCの10の基準に則って認可を受けており、6万人の教師が登録をしている。
NAEYCのウェブサイトでは政策提言も行なっており、連邦政府に対して、1) 幼児教育施設への公財政支出を増やすこと、2) 幼児教育従事者の学位取得のための奨学金制度を充実させること、3) 低所得家庭の幼児教育費を全額免除にすること、などを求めている。州政府に対しては、1) 質を担保するための基準制定、2) 教師の研修制度のための予算確保、3) オバマ政権下で確保された予算を執行するための州ごとの体制づくり、などを求めている。
「創造的な遊び」で人間性と社会性を培う良質の幼児教育が、満遍なく国民の手に行き渡る日は、米国ではまだまだ遠そうである。では、我が国ではどうであろうか。次回は、既に傘下に200近い保育所を運営する、幼児教育大手のポピンズ取締役・轟麻衣子氏へのインタビューを通じて、日本の幼児教育現場における量と質の課題に迫ってみたい。
ISAK小林りん氏と考える 日本と世界の「教育のこれから」
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