ここに掲げたグラフを見てほしい。医療機器も医薬品も欧米勢に圧倒されている日本の姿がわかる。薬も医療機器も貿易赤字で輸入に頼っている。しかし、これらのグラフが「伸びしろ」に見える人もいる。
アメリカ連邦政府FDAの医療機器審査官出身という異色の経歴で注目を集めているのが、日本医療機器開発機構のCEO、内田毅彦である。日本の医療機器の分野で初めてインキュベーション事業に乗り出し、スタートアップ支援や事業化をサポートしている。内田がこんな話をする。
「今、ぼくらが関わっているものに『痛み治療器』があります。もしかするとこれは世界が驚くものがようやく日本から出ることになるかもしれません。熊本県のベンチャー企業がつくったのですが、『我々はすごくいいものをつくったと思うのですが、薬事の認可を取ったり、海外展開したりすることができません。バトンタッチしてください』と相談され、そこから先を引き受けることになったのです」
内田がこうした医療機器のインキュベーションに目を向けた原点は、アメリカのFDAに勤務していたときの気づきにある。
「FDAで審査をしていた頃(2005〜07年)、次から次へと最新の医療機器を目の当たりにしました。確かにすごいなとは思うのですが、中身を見てこれだったら日本でもできると直感しました。自動車や電子機器分野など、ものづくりではアメリカ製品より日本製が世界を席巻していました。品質面や技術力が優れていることを考えれば、医療機器なんて日本がいちばん得意そうな領域です。それなのになぜできないのかと」
「当時も医療機器の貿易赤字は膨大で、とりわけ心臓の領域では自分も医師として治療していたからわかるのですが、海外の製品ばかり。数字と実体験からこれはもったいないと思いました。そこで医療機器をフィールドにして、いつかはこの貿易赤字を黒字にしたい、そうすれば臨床から離れても医師として世の中に貢献できるのではないかと考え始めました」
もともと内田は東京女子医科大学の循環器内科で臨床医としてキャリアを積んだ後、日本で臨床研究を実施したいと考え、ハーバードの公衆衛生大学院に進み、そしてハーバード・クリニカル・リサーチ・インスティテュートのフェローとなった。この後、アメリカの連邦政府機関であるFDAで審査官を務めた。
FDA退職後はその経験を活かし、アメリカの大手医療機器メーカーに勤務。また、シリコンバレーで医療機器ベンチャーと協業するなど、日米の医療機器関連の仕事に携わってきた。本格的な医療機器のインキュベーション事業を行うため、2012年に日本医療機器開発機構を設立した。