面白いじゃないか。せっかくやるなら、ありきたりの構成にはしたくなかった。ベージュ東京のヘッドシェフと、お互いのシグネチャーを交互に出すのではなく、二人で全ての皿を一緒に作ろう、と決めた。初めての外国人シェフとの仕事。苦労はしたが、自分にしかできない料理を作った、という充実感があった。
そして気づいた。好きだったローリング・ストーンズも、マイケル・ジャクソンも、当たり前のようにワールドツアーをしている。赤の広場で、言葉では通じ合えない、多くの人たちを熱狂させているライブ映像を見たことがあった。
言葉を超えたコミュニケーションができる、という意味で、音楽も料理も一緒ではないか。夢を諦めたと思ったけれど、料理でだって、自分のやりたかったことができるじゃないか。自分にしかできないやり方で、料理を作ろう。
それまでずっと、「自分が料理人をしていていいのか」という劣等感があった。なりたくてこの世界に入ったわけではなかったから、「この仕事が天職」と語る他の料理人が、眩しくて仕方なかった。その劣等感が、嘘のように消えて行くのを感じた。
次第に、世界各地からポップアップレストランやコラボレーションの誘いが舞い込むようになる。NY時代に鍛えた英語力が役にたった。いつか、世界で活躍するという夢は、料理人という形で叶えられることになったのだ。
同時に、世界を見ていく中で感じたのが、日本の閉鎖性だ。「『日本人にしか、日本料理の味はわかない』なんて言っていては、世界に置いていかれる」と高木は言う。
料理は客によって作られる。「おいしい」と言って食べてもらえて、初めて成り立つ、相手ありきのものだ。それをふまえて高木は、自分は、好きなものを作り表現するアーティストとは違うと話す。そして、だからこそ、しっかりとした富裕層のいる外国の方が美食に対する感覚が鋭く、成熟しており、また勉強もしていると言うのが、高木の考えだ。
同時に高木は、「日本人ブランドの崩壊」がすでに始まっていると指摘する。「日本人が作る日本料理がいい、なんて言うのは、すでに過去の話です」。その例として高木が引き合いに出したのが、NYの寿司店の事例だ。
高木がよく行くという、NYの人気寿司店「Shuko」。板前に日本人はいない。出しているのは、現地に合わせたフュージョンではなく、伝統的な江戸前寿司だ。それでも、サービス料や飲み物を合わせると一人4万円近くなる料金を、当たり前に支払う食事客。つまり、そこにはその金額を払うマーケットがあり、さらには、味と質が担保されれば、作る側は日本人でなくてもいい、という、「日本人ブランドの崩壊」が始まっているのだ。
客が訪れ、きちんとした料金が支払われることで、食文化は受け継がれ守られていく。
「本物の日本食は日本人しか作れない」というけれど、では日本人だけを相手にしたマーケットで、どれだけ生き残っていけるのか。「世界で日本食を残して行かなくてはならないのに、外国人にきちんとしつらいや器、料理の背景まで説明できる料理人が少ない」と、高木は危機感を覚えている。
だからこそ、本気で知りたい、という相手には、国籍を問わず、何も隠さずに全力で教える。今回のイベントでも、合間合間に地元の若手の調理スタッフを呼んでは、全員に味見をさせ「いつでも、味見したいと思ったら味見して欲しい」と呼びかけた。こうして、少しでも日本料理を浸透させたいと思っているのだ。