客の95%は非日本人。地元のシンガポール人が7割、そしてインドネシア、タイ、マレーシアからも、橋田が握る寿司を求めて、はるばるやって来る。最近は、フィリピンやカンボジアからの若い起業家の客もちらほらと増えて来ていると言う。
看板メニュー(シグネチャー)は、大トロを大振りの薄いスライスに削ぎ切りしてから、ふわりと酢飯にまとわせたもの。薄く切ることで、シンガポール人の大好きなとろける食感を実現するだけでなく、客の前で、ダイナミックに大きな塊から切り出し、それが間髪おかずに寿司として握られて出てくるというのも、人気の秘訣だ。
橋田は、「寿司はシンプルな料理だけに、どこの寿司屋も、どうしても同じ印象になってしまう」と常々感じてきた。だからこそ「誰もやっていないことをやり、記憶に残る寿司屋にしたい」。それが前出のシグネチャーであり、寿司に限らず、モダンな西洋風の盛り付けをした料理の数々を提供している理由でもある。
シグネチャーの大トロの握り
とはいえ、地元で受け入れられる味作りも意識している。シンガポール人は全般に強い塩味や酸味を好まないが、日本の本来の味のバランスを崩したくない。そこで、酸味を使う場合は、すだちを絞ってポイントで使う、米酢にシンガポール人に馴染みのあるトマトの酸味を合わせるなど、独自の工夫を凝らしている。
そんな橋田をシンガポールで一躍有名にしたきっかけは、日本にいた頃から作っていたマカロンだ。
──橋田は20代の頃、店で寿司を握るだけでなく、ケータリングもしていた。大きなパーティー会場で、その他にフレンチやイタリアンのケータリングが出ていても、寿司の人気は強い。多くの客が行列する前で寿司を握りながら、橋田はそれに満足していた。
しかしある日、異変が訪れた。フレンチのシェフが突然、当時日本で流行り出したスイーツ、マカロンを並べ始めたのだ。それまで自分の寿司に並んでいた客が、一気にマカロンに群がった。悔しかった。
折しもその翌日、東日本大震災が起きた。外食どころではなく、店は開けたものの、キャンセル続きで客は来ない。ガランとした営業中の店で、昨日の悔しさを噛み締めている中、思いついた。どうせやることがないのだから、自分もマカロンを作ってみよう。銀座のデパ地下でありったけのマカロンを買い集め、研究した。
「どのマカロンにも生地そのものにあまりフレーバーがない」と感じた橋田は、試行錯誤の末、生地にほうじ茶のパウダーを練り込み、餡とバターのクリームを挟んだ、香り高いマカロンを完成させた。
そのマカロンは、日本で橋田を一躍有名にし、一度に20個のマカロンしか焼けない、はし田の小さなオーブンをフル回転させ、一時期は週に2000個のマカロンを焼いていたのだという──
誰もがやらないことをやる。寿司屋が作る和素材のマカロン──。橋田はシンガポールでも、このアイデアは通用するだろうと踏み、オープン当日から自分で焼いたマカロンを提供した。想定は当たった。その組み合わせの面白さに、シンガポールのメディアも飛びついた。毎日のようにインタビューを受ける日々が、約2か月続いたという。