ライフスタイル

2017.09.06 11:00

老舗の二代目が目指す「日本人が来ない寿司屋」


昔から商業の街として栄え、世界中の料理が食べられるシンガポールを、橋田は遊園地に例える。「中華やマレー、インドなどの小さなセクションに分かれていて、それぞれのアトラクション=レストランに、シェフがいる。世界から集まった、個性のあるシェフたちがしのぎを削っている場所」。

しかし、遊園地という言葉の持つのどかなイメージに反して、その内情は熾烈だ。1日に1軒レストランがオープンし、2日に1軒が閉店する外食激戦区。新しいもの好きのシンガポール人は新店舗に流れる。ただ美味しいだけでは生き残っていけないのだ。

その厳しさも怖さも、当然橋田は十二分に承知している。更なる展開を考え、オープンから3年後の2016年6月に店舗を移転した。3つの個室を作り、後ろを通路で繋いだ。席数を増やしつつも、橋田がスムーズに全ての個室を行き来できるようにしたのだ。くつろいだ親近感が生み出される、個室のプライベート感を残しつつ、エンターテイナーとしての魅力溢れる「ハッチ(橋田の愛称)に会いにくる」という客を満足させるために考え出したレイアウトだ。

今は寿司職人という仕事を天職だと思っているが、子どもの頃は、画家になりたかった。父に反発した10代の頃は、家を飛び出して路上アーティストをしていたこともある。しかし今、そのマルチな才能は、店の外の話題作りにも一役買っている。

アーティストとして美術展で絵画の展示を行い、地元雑誌のバレンタイン特集では「愛」をテーマに英語でポエムを披露するなど、なんでも面白がって自分のものにしてしまう。いつの間にか、地元メディアの間には「ハッチに振れば何か面白い答えが返って来る」という期待感が醸成されている。今年の4月に行われた4周年記念イベントには、地元のグルメ雑誌、エピキュア(Epicure)が協賛するなど、地元メディアのバックアップも手厚い。

「一生料理は続けるだろうと思う」と語るが、「はし田」を橋田建二郎、という一人の才能に頼ることを、当人はよしとしていない。店の外で、湧き出すアイデアを、形にしたいという思いが強いからだ。

来年3月には、アメリカで出資者を得て、サンフランシスコに寿司と生蕎麦をコース仕立てで出す店を作る。さらに来年12月には、父から受け継いだ東京の本店を、自分のスタイルの新しい店に生まれ変わらせる。橋田本人は、それら各店を回ることを考えている。

しかし、はし田の魅力の一つである、楽しさやエンターテイメント性は、現在のシンガポール店を見てもわかるように、橋田本人のキャラクターによるところも大きい。多店舗展開で、橋田が不在の間、どんな風にその魅力を保っていくのか。そんな質問を橋田に投げかけると、こんな答えが返って来た。

「それぞれに違う形のエンターテイメント性があって良いと思う。ディズニーランドに、いろいろなキャラクターがいるように。今、それぞれのスタッフの良さを考えて、伸ばそうとしているところ。それぞれの味が出たところで、引き継いで行く」

父から受け継いだ、「サービスや空間も含めて、客に楽しんでもらう」というはし田のDNAは、それぞれの地域やスタッフによって最適化され、新しいスタイルになっていけばいいという。

東京に改装オープンする、新生はし田本店では、コンセプトをガラリと変える。考えているのは「日本人が来ない店作り」。焦点を当てるのは来日客。スタッフはサンフランシスコ店で研修し、全員が英語対応できるようにしようと考えている。日本人が嫌、というわけではなく、違いを面白い、と捉えてくれる外国人に魅力を感じるからだ。

「伝統的な店があるからこそ、自分の良さが引き立つ部分もあるし、その逆もまた言える」と橋田は言う。

アーティスト、デザイナー、ブランドコンサルタント──。とにかく、やりたいことが多すぎる。

現在は、AIに精通する友人と共に、様々なプロジェクトを進めている。名店の味をAIに分析させて、三ツ星の味が食べられる寿司ロボットを作れないか。特殊な手法で声を形にしたデザインの食器を作ってはし田で出したら面白そうだ。創造力と想像力溢れる友人たちと、そんなことを話し合うのが、面白くてたまらないのだ。

古き良きおもてなしの心を残しつつ、既成概念にとらわれない自由さとダイナミックさで、寿司という昔ながらの世界に風穴をあける。橋田二代目は、海外から日本の外食産業を面白くしてくれそうだ。

文、写真=仲山今日子

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