ワシントンDCの中心から車で西に30分。学生街ジョージタウンの閑静な住宅街に、ハルシオン・インキュベーターはある。
社会起業家に特化した同インキュベーターは、2014年秋にスタート。46ベンチャー企業を育ててきた。創業者兼会長の久能祐子は、製薬会社の起業で大成功を収めた科学者にして経営者だ。芸術・科学・社会企業支援の民間NPO「S&R財団」の共同創業者・最高経営責任者(CEO)も務める。
久能が11年に1100万ドル(約12億円)で買ったハルシオンハウスは、独立戦争直後に建てられた、インキュベーターとしては二つとないレンガ造りの大邸宅だ。一見何の変哲もないドアを開けると、タイムスリップしたかのような別世界が広がる。久能いわく、「『Think Big (大きなことを考える)』には、普通でない場所がいい」。
11年当時からレジデンス付きインキュベーターに関心があり、14年から試験的に開始。2年半で手応えを感じ、今年2月、公共財団として、S&R財団からスピンオフさせた。自身も起業家である久能にとって、個人の潜在力を解き放し、いかに最大化するかは永遠のテーマだ。ハルシオンが提供する「時間とスペースの共有」が最もイノベーティブな環境を生むと、久能は考える。
米国では、ハルシオンにみられるような、自分の成功を社会に還元し、次世代の人材を育てるためのインパクト投資が増えている。「世界をより良くするための社会的インパクトと収益の両方をねらう」フィランソロピーエコシステムだ。やはり科学者で経営者でもあった亡父から支援され、励まされたことを次世代に投資し、返す—。
ハルシオンは「自己実現、自分自身の実験のようなものだ」と、久能は言う。
5カ月間のプログラムは全額無料だ。年2度の公募で各8人のフェローが選ばれ、共有オフィスや個室、給付金、メンターなどを享受できる。インキュベーターには珍しく、ベンチャーの株式は保有しない。
プログラムディレクター、ライアン・ロスによると、ハルシオンが求めるのは「社会的インパクトへのリターン」だ。「ベンチャーが大きな課題の解決に向けて成長しているのを見るとワクワクする」(ロス)。
すでにプログラムを終えた40ベンチャーの資金調達の成功率は60%。調達額は1650万ドル(約18億2000万円)に達し、220人の雇用を創出した。「30万人の人生にインパクトを与えた」とロスは言う。
プログラムを締めくくるピッチイベント「ショーケース」には、多数のエンジェル投資家が詰めかける。5月24日のショーケースにも投資家など120人が参加した。
ケイト・グッダルCEOによると、ハルシオンが求める起業家像は「次世代の変革者」だ。8人の枠に、国内をはじめ、アジア、アフリカなど平均250人が応募。選考基準は、世界で最も困難な課題に対し、サステイナブル(持続的)で広がりのある解決策を持っているかどうか。個人的な人生経験を通し、独特なやり方で問題解決に挑む力が必要だ。
たとえば、自身の里親での経験から、児童福祉制度のイノベーションを目指すNPO「フォスター・アメリカ」を創業した女性フェローもいる。