現在の資本主義や経済学の課題は、数字として捉えることができないものを切り捨ててしまったことにあると思います。人間的にバランスの取れた、よりよい社会を実現するためには、数字でははかれないものの価値を問い直し、新しい資本主義の形や新しいお金の使い方を考える必要があります。
経済学はこれまで、市場に登場する主体としての人間の姿を、私利私欲の達成を目的とした架空のモデル「合理的経済人(ホモエコノミクス)」として捉えてきました。個人はその満足度を示す「効用」の極大化を求め、企業は利益や利潤の極大化を目指す合理的な存在であるとの見方です。経済学の主流も、ノーベル経済学賞の受賞者を見れば分かるように、合理的経済人を前提として公式や理論の正しさを追い求め、現実の人間世界から遠ざかっているように見えます。
経済活動から人間的な側面や価値観を取り去ってしまった結果が、今の金融の姿と言えるでしょう。偏った人間観が、資本主義に大きなゆがみをもたらし、2008年のリーマン・ショックを招いてしまいました。
資本主義は、本来、特定の主義・主張や思想を背景としたものではありません。あくまで仕組みやメカニズムです。ただ、誰もが持つ成長したい、前に進みたいという欲望や感性にマッチしているため、自制しなければひたすら肥大化し、最後には自壊するリスクを内包しています。こうした構造はリーマン・ショック後もまったく変わっていません。
金融危機は収束したかのように見えますが、それは政府や中央銀行による財政政策や金融政策によって、企業など民間部門が抱えていた過剰な債務や不良債権を引き受けているにすぎないのです。本来は資本主義のゲームの外から審判や最後の救済者(ラストリゾート)としての役割を引き受けるはずの国家や国際機関が、もはやゲームの一員として取り込まれてしまっている状況です。
こうした“ 心を持たない” 経済学や資本主義の流れに対峙する経済学者もいます。「ノーベル経済学賞に最も近かった日本人」と言われたロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの森嶋通夫氏は、自著『思想としての近代経済学』で「経済学で現実を反映した理論を構築するためには社会学の視点を導入する必要がある」と強調しました。
数学者、デイビッド・オレル氏は著書『経済学とおともだちになろう』で、「新しい経済学は、経済を孤立した個人が希少な資源を奪い合う競争として捉えるのではなく、絆や持続可能性といった『より柔らかい』価値も考慮する。たぶんいちばん大事なのは、新しい経済学が人の経済を、成長システムというもっと大きな構図の中で捉えていることだろう」と述べています。
経済活動は市場の「(神の)見えざる手」にゆだねるべきだと主張した経済学者、アダム・スミスも、他者に対して共感を持つ道徳的な人間の存在を前提としていたと言われています。