ドナルド・トランプがアメリカ大統領選で勝利した。昨年11月、これに同国の“インテリ層”はアッと驚いた。「周りにトランプ支持者なんていなかったのになぜ」、と。
少し振り返って考えてみたい。今から20年ほど前、筆者はインターネットの普及によってより良い社会になると信じて疑わなかった。ネット革命により情報の伝達コストが著しく低くなるからだ。
ネット環境さえ整えば、低コストでアフリカやアジアの貧困地域でも欧米の高品質の高等教育を受けられる。フェイスブックやツイッターなどのSNSの普及により、誰もが発信者となって世界中に友だちを作り、ベンチャー起業家は低コストで自社のブランド認知を高めることが可能だ。あらゆることがスマートフォンで完結し、アマゾンを利用すればほしいものが短時間で手に入る。
ネット革命により情報格差がなくなり、相互理解が進み、人の移動が増えて人種や民族間の障壁がなくなり、自動翻訳の進歩で言語の壁もなくなり、資金も国境を越えて移動し、世界はフラットになるー。そう信じていた。そして、実際にそれはかなり実現している。
アメリカ西海岸に拠点を置くアップルやグーグル、フェイスブック、アマゾンなどの会社は、世界中から人種や宗教に関係なく優秀な人を集めて、世界をフラット化して素晴らしい社会にするという目標を掲げ、やりがいのある職場環境、高めの給与、ストックオプションなどを通じた株式価値を使った資産形成を行った。LGBT(性的少数者)の人たちが働きやすい環境でもある。
ところが、筆者も含めて「想像力」が欠如していた。このような会社や産業が成長している裏で、多くの会社が消え、職を失う人たちがいる、ということへの。
ネット社会の到来で、情報を活用する意思があり、その仕方をわかっている人たちにはチャンスが広がった。しかし、そうでない人たちには辛い社会だった。「デジタル・デバイド(情報格差)」の問題である。その結果、ネット革命に対応できる人とできない人との間に収入格差が生まれつつある。
確かにネット革命によって、情報は今まで届かなかった人たちに届くようになった。しかし、所得格差や教育格差が埋まらないまま、情報が拡散し、格差が可視化された。そのため、持たざる人々の怒りが増幅し、地縁や血縁、宗教などのつながりが強化され、国境には精神的な壁ができ、トランプの「メキシコに国境を」という言葉に拍手が起こるような空気が醸成された。