遠く奈良、平安時代は無論のこと、武家社会にも深く中国文化が浸透した。料理、住宅建築、室内装飾、庭園から絵画、文学まで中国からもたらされたものは数知れず、次第に庶民の生活や習慣にも根を下ろしていった。いまやクールジャパンの専売特許のように見なされている禅や茶道も元はと言えば中国発である。
先進国たる大きな条件の一つがソフトパワーであり、その代表格が文化力だと思う。中国が真の大国を目指すためには、世界を唸らせる魅力的な現代文化が必要になる。青龍寺も華清池も頤和園も、この国の遠い昔の文化的水準の高さを示す以上のものではない。
大国とは、その現代文化を他国が自発的に取り入れていく存在でなければならない。
「中国の夢」は力で実現できるものではない。古代から近世まで、中国がアジアで突出した存在であり続けられた最大の要因は、武力ではなく文化力だった。現下の中国の為政者に是非、こうした自覚を持ってもらいたいものだ。
晩春の北京。私は書店で復刻本を購入しようかどうか迷っていた。後漢書の巻八十五東夷列伝第七十五を収めた分冊を欲しいと思ったのだが、同行してくれた中国社会科学院の蔡副委員長が「書店主は全12巻セットでないと売れないって譲りません」と申し訳なさそうに言う。全巻でも310元(4,500円程度)だが、重くてかさ張る。仕方なく諦めたものだった。
数カ月後、研究出張で来日した蔡さんは、過密日程を縫って私のオフィスに寄ってくれた。両手で大きなズックのバッグを抱えている。汗を拭き拭き「川村先生、お土産です。開けてみてください」。バッグにはきれいに包装された薄緑色の後漢書全巻が収まっていた。「副院長、こんな重いものをわざわざ……」。
文革世代の蔡さんは、温厚だが内に熱い情熱を秘める文化人である。友誼に篤く仁義を貴ぶ。中国古典の賢者もかくありなん、だ。国家としては力を信仰する観の強い中国だが、個々人の懐は深い。来年は日中国交正常化45周年。日中間の噛み合わない厄介な関係は、これを機により深いレベルと広い範囲の文化交流で改善していきたいものである。