「人が変わったように」という言い方がある。突然スイッチが入って急に行動が大きく変わってしまうことだが、それはどういう瞬間に現れるのだろうか。
例えば、スイッチを入れてほしいのに、ほとんど聞き入れてもらえないのが、診察にくる患者さんだ。「塩分を控え目に」「運動をして、食生活の変更を」とお願いしても、生活パターンを変える人はほとんどいない。それが健康に良いことは頭で理解していても、人間は知識の押しつけを、生活の中で「我慢」することとみなしてしまうのだ。そのため、習慣を変えることがなかなかできない。
では、スイッチを入れるにはどうしたらいいのだろうか。
先日、奈良県・吉野山の金峯山寺から熊野古道を登り、山上ヶ岳の大峰山寺まで歩く“行”を行った。約100人の行者が午前3時に起こされて、金峯山寺を発つ。道のりは険しく、途中、危険な行場にも赴く。勤行を何度も行いながら、14〜15時間かけて歩き、山上ヶ岳の大峰山寺にたどり着くと、護摩を焚くのだ。私がこの行事に参加したのは、昔から山伏に興味を持っていたからだった。
今回、この行から日常生活に戻ると、不思議なことが起きた。生活スタイルが変わったのだ。私は歩くのは良いとか、食事が少ないのは体に良いとか、患者さんには医者として毎日のようにアドバイスをしていた。一方で自分はというと、忙しいとか、寒いから風邪をひくとか、もっともらしい理由をつけて運動を休むことを正当化していた。
ところが、行から戻ると、気分が充実して、とにかく動くようになったのだ。例えば、日課にしていた自転車は、雨の中でも苦にならなくなった。
行に参加した友人も同じことを言う。自転車通勤の彼は雨が降ればいつも電車に乗っていたが、今では雨が降っても自転車なのだそうだ。しかも耐えるという感じではなく、子供が雨の中を靴が濡れても楽しく走る爽快感なのだ。私も1時間程度の徒歩は当たり前になった。しかもこの変化は、ずっと続いている。
つまり、行動を変えるのは、知識や考えではない。修験道の行のようなインパクトが、深層意識にスイッチを入れて、一気に行動変容を起こしたのだ。
禅に「門より入る者は是(こ)れ家珍(かちん)にあらず」という有名な言葉がある。門とは「六根門」のことで、眼、耳、鼻、口、肌、意を指す。本で読んだり、耳で聞いたり、意(心)で考えたりしたことは借り物であり、役に立たない。自分の腹の底から湧き上がってくるものこそが「家珍(宝)」というのだ。
今風に言い換えるのならば、心に刺さった体験や心に響く体験によって、初めて全体が動く。これが行動の変容であり、習慣を変えることになる。ガンの自然退縮という現象が科学的に観察されているが、メカニズムはいまだわかっていない。意識の変容に、案外そのヒントはあるかもしれない。
さくらい・りゅうせい◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。近著に『病気にならない生き方・考え方』(PHP文庫)。