しかし、ソーシャルメディアを私的な日記のように使い、SNS上での知人をセラピストのように思うことは、場合によっては深刻な結果を伴うものだ。
不適切な相手に個人情報を提供しすぎたことで、自分自身を物理的な危険にさらす可能性がある。また、あなたの最善の利益を願っているわけではない人たちに個人的な問題を詳しく伝えることで、その人たちに利用されてしまう可能性もある。
違いは情報提供の「意図」
提供する情報が過剰なのかどうか、違いを生むのは次のような行動だ(無意識に行われていることもある)
・ 同情を得るための見当違いの行動
自分の過ちから学んでもらおうとして個人的な情報を公開するなら、あなたは「真正の人」だといえる。だが、気の毒に思ってほしいということが動機なら、情報を共有しすぎということになる。
・ 関係を急速に深めようとするための行動
正直な人は、まず人間関係を築く。供給過剰な人は信頼関係を築く前に、親密さを高めるために個人的な情報を大量に提供する。
・ 個人的な話はあくまであなたの問題
提供し過ぎの人は自分が感じている痛みを伝えることによって、他者に自分の不安感を訴えようとする。だが、正直な人は不安な気持ちを抑えて、共有すべき情報かどうかを慎重に考える。
共有すべきか否か
個人的なことを人に話す前に、なぜその情報を共有したいのか考えてみる必要がある。
家計の状況を隣人に話したいのは、同情してほしいから?それとも、その人が信頼できる友人だから?健康問題について同僚に打ち明けるのはその人に、あなたの仕事ぶりに影響が出ることを知っておいてほしいから?それとも、親密な関係だと思ってほしいから?
もちろん、個人的なことを伝えておかなければならないときもある。妊娠して、診察のために仕事を休まなければならないなら、上司にそれを伝えなくてはならない。離婚して、夜間に子どもを預ける場所がないなら、残業ができず同僚たちに影響が出ることを伝えておかなければならないだろう。
個人的な問題に関する情報を共有する前に、なぜそのことを公表したいのか、共有した結果起こり得るのはどのようなことか、考えてみる必要がある。真正の人でありながら、同時にプライバシーを保つことは可能だ。そのことを、忘れてはならない。