本連載では、その“学校”を卒業し、活躍している人々にフィーチャー。酸いも甘いも知り尽くした同士による対談形式で、成功のヒントを紐解いていく。
第一弾は、モルガン・スタンレー出身の小林りん氏(学校法人インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢=ISAK代表理事)と、南壮一郎氏(ビズリーチ代表取締役社長)による先輩x後輩トーク。まずは、ファーストキャリアに外資系金融を選んだ理由に迫った。
谷本有香(モデレーター、以下、谷本):まず、お二人のご関係を教えてください。
小林りん(以下、小林):モルガン・スタンレーに入社したのは、私が1998年で、彼が1999年。同じ部署で1年違いの先輩・後輩でした。
南壮一郎(以下、南):モルガン・スタンレーは、当時まだベンチャーだったんです。今みたいに名前が知られているわけでもないし、企業規模もそんなに大きくなく、日本の銀行ほど人気もなく。部署に入ってくる新入社員も年に数人くらいだったので、みんな仲が良く、家族みたいな感じでした。
りんさんとは、同じプロジェクトで一緒に資料を作ったり、徹夜して仕事をして、朝5時にカップラーメンを食べたりしていました(笑)。投資銀行業界全体が日本で立ち上がったばかりの頃で、M&A案件も多く、仕事はとにかくたくさんありましたね。
谷本:お二人の第一印象はどのようなものでしたか?
南:リーダーシップがあって、みんなのまとめ役。今と同じですね。それと、早々と結婚した綺麗なお姉さん。上司たちに気に入られていて、しょっちゅう飲みに行っていて、豪快な人だなと(笑)。
小林:私は、自己紹介でいきなり「僕スイミーです」っ言われて、「え、誰?」みたいな感じ(笑)。当時は年に3〜4人しか新卒を採用していなくて、面白い人がもともと多かったんですが、スイミーの存在は際立っていましたね。勢いのいい新人入ってきたぞー、と(笑)。結局、二人とも早々に辞めてしまいましたが。
谷本:何年で退職されたんですか?
小林:私は丸2年いて、2000年3月に退職しました。それ以降、国際開発銀行やユニセフなどで働きましたが、どこも1〜3年で転職しました。でも特にキャリアアップを目指していたわけではないんです。
20代は、とにかく「楽しくて優秀な人が集まっているところで面白いことをやりたい!」と思っていて、常に「今どこにいるのがベストか?」を考え、気軽に転職していました。ただ、どこでも自分なりにベストを尽くしてきたと思っています。
南:僕もモルガン・スタンレーで2年弱鍛えてもらい、その後はクライアントでもあった香港の投資会社に勤務しました。その後、スポーツの世界に憧れ、フットサル場の管理人などをしていた時期を経て、楽天イーグルスの立ち上げに関わらせていただきました。
20代の仕事の判断が正解だったかは分かりませんが、その時々の選択に対して、とにかく無我夢中で働き全力投球したこと、素晴らしい先輩や仲間に囲まれながら成長著しい環境で働けたことが、今の自分の礎になっています。