一番の壁は、倫理問題。技術的には不可能なことではないが、研究所をまわっても「ヒトの遺伝子を木の細胞に入れるなんて、イメージが悪い」という判断が下される。北欧から中国まで、片っ端から研究所に連絡する。それでも、誰も首をタテに振ってくれない。
「だったら、自分でやるしかない。しつこいんですよ、私」
ラボへの鍵を見つけなければ。まずは、ウェブ上にアイデアを投稿し、アイデアを知ってもらうことに力を注いだ。
「アイデアは、どんどん人に言った方が現実に近づくと思うから」
実際、ここでも、大きな出会いが待っていた。投稿を繰り返すうちに、早稲田大学理工学術院の岩崎秀雄教授に出会う。「科学者になりたかったけれど、じつはアートをやりたかった」という岩崎と話していて、分かったことがある。
「生命って何?」「死って何?」。そんな問いかけをすると、科学と哲学は近いのではと思うようになった。「何かを突き詰めたい」と考えるという意味では、アーティストも科学者も変わらない。分野は違っても、親和性が高いー。もっと科学の世界に身を置きたい、と早稲田大学理工学術院に籍を置くことを決める。
なかったものを、繋ぎ合わせていくのがどうしようもなく面白いと思うようになった。まさかそこ? という組み合わせを繋ぎ合わせていく。繋げることによって「こんなことがあってもいいんだ」と思える未来がきっと生まれる。
福原は現在Googleが開発を進める、デニムでウェアラブルデバイスをつくる「プロジェクト ジャカード」のテキスタイル・クリエイティブリードも務める。映画好きの少女は、気づけばアーティスト、時々研究者になっていた。
「映画だとか、バイオアートだとか、サブジェクトにはこだわっていない。自分のなかで大枠が決まっているからこそ、『ミッションは?』と聞かれ、すぐに答えることができたのかもしれません」
夢にしがみつくことはしなかった。むしろ、変わっていくことを楽しんだ。出会う人々のアドバイスに耳を傾け、気になったら何でもやってみた。
私たちは、自ら掲げた目標から少しでもズレると、人生に負けたと思ってしまいがちだ。でも、時に俯瞰して、堂々と脇道に入ってみる。すると、夢が別の形になって顔を出す。ミッションが、はっきりと分かるようになる。福原の人生は、そんなことを証明している。
Q1 人生で最も辛かった経験は?
強いて言えば、少し前まで科学とアートやデザインを結びつけることに、なかなか理解が得られなかったこと。
Q2 ターニングポイントは?
最初のターニングポイントは、「英語が苦手」「嫌い」と思っていたことを家庭教師に「好きなこと」にすり替えて貰えたこと。
Q3 影響を受けた実在の人物は?
(バイオアートの先駆者と呼ばれる)ジョー・デイヴィス。絶対に諦めない人。環境が難しくても、遂行するという意志を持つ人だから。
Q4 原動力となる言葉
「後悔をしない生き方をしなさい」という両親の言葉。「やらないリスク」を取るほうが後悔する、と幼少期から言われて育った。
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