トウ副学長と旧交を温めると、人民元の国際化をテーマに講義をさせてもらった。6年ぶりの大学講義だが、学生たちの熱心な聴講態度に次第に興が乗ってきた。大幅に時間をオーバーしたのは、矢継ぎ早の質問攻めのせいである。「日銀のマイナス金利政策の次の一手はどのような緩和策か」「アベノミクスの第三の矢には具体的にどのような成功事例があるのか」「人民元は国際金融のトリレンマを回避できるか」。 等々で、英語も立派に使いこなしている。
中国の一流大学の学生たちは実に勉強熱心である。図書館は深更まで勉学に励む学生たちが絶えない。しかも日本への関心は根強く、理解はかなり正確で中立的だ。むろん、養光韜晦の年季明けとばかりに、上から目線で自信過剰の若者も少なくない。だが、知日派の大半は最後に所感を述べた学生と同じ感覚ではないか。「中国はstrong powerであるべきだがsuper powerを志向すべきではない。なぜならそれは覇権主義と表裏一体のものだから」
講義を終えてとんぼ返りで戻った東京には相変わらず中国語が飛び交い、空港も駅もデパートも中国人で溢れかえっていた。クールダウンしたとはいえ、彼らが落とすお金は巨額だ。反面で書店には中国経済危機や中国への警戒を訴える新刊本が平積みになっている。強引な対外行動に関する報道に日本人の多くが不快指数を高める。
人民公園をともに漫ろ歩いたのは地元の中国人の若き女性経営者、劉さんだった。細身のジーンズが良く似合う彼女は、北方系を思わせる色白の瓜実顔を曇らせてつぶやいた。「83%もの日本人が私たちを嫌っている......。でも、人間は数字のマジックに踊らされるものです。中国でも同じですわ。お互いに数字だけの思い込みは誤解と不幸の素ですよ」。
途端に同行の日本人大学教授が反論した。「個人レベルはそうかもしれないが、マクロレベルでは数字しか信用できない。個人と国家は別物です」。
ポツリポツリと人群れが散会していく夜更けの公園 だった。