二人は、美術大学で絵を専攻している学生のようであったが、耳に入ってくる二人の議論は、「いかにして創造性を身につけるか」というものであった。
一人は、創造性に優れた作品を数多く鑑賞することの大切さを語っていた。
一人は、無垢の心で自然に触れ、感じる力を磨くことの大切さを語っていた。
二人は、画家をめざす者として、創造性を身につけたいとの情熱に溢れ、謙虚に、そして、真摯に語り合っていたのだが、その話を聞いていて、なぜか、一つの疑問が、心に浮かんだ。
はたして、ピカソは、
「創造性」を身につけたいと
思っていただろうか?
おそらく、ピカソの心の中に、「創造性」という言葉は無かった。
そして、彼の作品の中に人々が感じる「創造性」は、彼にとっては、全身全霊での自己表現の、単なる「結果」にすぎなかった。それは、彼にとって、決して「目的」ではなかった。
それが真実であろう。
しかし、それにもかかわらず、我々は、いつも、過ちを犯してしまう。
「結果」にすぎないものを、
「目的」にしてしまう。
そして、それは、「現代の病」と呼ぶべきもの。
例えば、いま、経営の世界に溢れる「イノベーション」という言葉。
いまや、「日進月歩」を超え、「分進秒歩」で技術革新や経営革新が進む時代。多くのメディアや経営学者、評論家は、「イノベーションを起こせる企業になれ」「イノベーティブな企業になれ」と語っている。
しかし、こうした言葉の洪水の中で、心に浮かぶのは、先ほどの問い。
はたして、これまで
優れたイノベーションを起こしてきた企業は
「イノベーションを起こす」ことを
「目的」にしてきただろうか?
そうではない。それも、やはり「結果」にすぎない。
例えば、「こんな商品があれば、世の中の多くの人が、喜ぶのではないか」という思い。
例えば、「こんなサービスがあれば、世の中で困っている人が、助かるのではないか」という思い。
そうした思いが、社員を、経営者を、新商品の開発に向かわせ、新サービスの開発に没入させる。
そして、そこに生まれてくるのは、「寝食忘れて」「寝ても覚めても」「一心不乱」「無我夢中」といった言葉で形容される、現場の熱気。
その熱気こそが、いま、シリコンバレーの現場にあるものであり、かつて、日本企業の現場にあったものであろう。
そうであるならば、経営者は、「どうすれば、イノベーションを起こせるか」「どうすれば、イノベーティブな企業になれるか」といったことを考えるよりも、「当社の現場には、その熱気があるか?」をこそ、考えてみるべきであろう。革新的な商品やサービスは、そうした「熱気」からこそ、生まれてくる。
では、その「熱気」は、どのようにして生まれてくるのか?
その問いへの答えは、経営者の心の中にある。
「この商品で、世の中の多くの人を喜ばせたい」
「このサービスで、困っている人を助けたい」
その深い思いが、経営者の心の中にあり、拙い言葉でもよい、その思いを真摯に、熱を込め、社員に語り続けるならば、その現場には、自ずと「熱気」が生まれてくる。
そして、その「深い思い」。
それを、昔から、日本の経営においては、「志」、そして、「使命感」と呼んできた。