ビジネス

2016.01.28 07:00

東大発バイオベンチャー企業、その夢の軌跡


帰国後、助教授として招かれた東大でペプチドの研究に乗り出すと、これまでの研究が強固な礎(いしずえ)となり、おもしろいように成果を挙げて、東京大学TLO*1で特許を取得するに至った。次なる転機はTLO担当者の「菅先生の技術はひょっとしたらもっと大きな展開が望めるかもしれない。会社を設立したらどうですか」という提案だった。しかし、菅は商売人の息子で、経営がいかに難しいものかよくわかっていた。それにアカデミアとビジネスは完璧に分けたほうがいいと思っていた。

なぜなら大学教授が国からの援助という「棚ぼた」をもらってバイオベンチャーを立ち上げると、会社社長より教授のほうが力関係では強く、営利的な開発よりも研究に比重がかかって、ビジネスとしては失敗に終わるケースが多いからだ。自分はあくまで研究者の立場でビジネスを成功させるのであれば、均衡の取れるCEOを見つけることが会社設立の必須項目だった。

そこで東京大学エッジキャピタル*2を通じて出会ったのが、医療関連の事業開発に知見があり、ベンチャー企業の創業経験もある窪田規一氏だ。紆余曲折あって東京大学エッジキャピタルとは破談に終わったが(注)、のちに窪田が個人的に会社設立のオファーをしてきた。この窪田の設立条件も相当変わっている。それはパトロン、つまりベンチャーキャピタルを入れないこと。前社のCEOを務めたときに痛い目にあい、次は創業者だけで出資して設立したいというのがその理由だった。

こうして06年、菅と窪田ともうひとりの創業者の3人それぞれが500万ずつ出しあって、ペプチドリームはスタートした。「すぐに1,500万は尽きて、もう一度500万ずつ出し合ったんです。両親や親戚、友人にも声をかけて。みんな会社が大きくなってお金が戻ってくるなんて、まったく期待してなかったんじゃないかな(笑)」

オフィスとラボは東大駒場リサーチキャンパス内の施設に一室借りてつくった。菅は学内の事務に掛け合い、倉庫に半ば捨てられていた中古の実験台、事務机や事務椅子などを集めて台車で運んだ。でき上がったオフィスはガレージさながらだった。「本田宗一郎だって自動車修理工場が出発点。グーグルもヒューレット・パッカードもアップルもガレージから起業した。地味で堅実なところからスタートする、それがベンチャースピリッツだと僕は思うんですよね」

ペプチドとドリームを重ねて会社名にしたのも菅だ。欧米の製薬会社には「何を目指す会社なのかすぐわかる」と評判がいい。そして実際、前述のプラットホームの技術確立と、上場という両面において「ドリーム(夢)」は叶うことになる。13年6月に東証マザーズに上場したペプチドリームは、初値(2,500円)が公開価格の3.16倍をつけ、14年1月は最高値1万4,730円をつけるなど、株式総評価額が1,500億円を突破したのだ。

15年4月には、塩野義製薬が「ペプチド」に基づく食道がん向けワクチンの最終治験を行うと日本経済新聞が伝えたことを受けて連想買いが入ったのか、1万500円前後を記録。5月には非開示だった今期経常利益が発表され、前期比4.7倍の10.3億円を見込み、4期ぶりに過去最高益を更新する見通しを示した。バイオベンチャーのなかでは異例の「有利子負債ゼロ」のまま、安定的な黒字を続ける。まさに優良企業といってよいだろう。

*1 東京大学TLO
TLO 
東京大学TLOは、東京大学で生まれた技術を産業界へ橋渡しする、技術移転機関 (TechnologyLicensingOrganization:TLO)で、東京大学唯一の子会社。特許・ソフトウェア等の産業著作権のライセンス を中心に、東京大学に帰属する「知財」に関して、ワンストップでの提供が可能。なお東京大学で生まれる発明は毎年600件以上で、2014年までの企業と の契約件数は3,169件(累計)、技術移転収入金合計は55億4,200万円(累計)。

*2 東京大学エッジキャピタル
UTEC
東京大学エッジキャピタル(UTEC)は、大学等研究機関の「知」の社会還元に向け、優れた知的財産・人材を活用するベンチャー企業に対して投資を行う、東京大学が「技術移転関連事業者」として承認するベンチャーキャピタル。様々な先端領域で、起業家の方々とともに、ベンチャー企業設立のお手伝いや、シード (種)やアーリー(早期)の段階からの投資を通じて、グローバルにイノベーションを起こしていく挑戦に取り組んでいる。

(注)当時は破談に終わったが、2008年7月にリードインベスターとして投資をし、支えた。

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文=堀 香織

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