失われた30年を経て、日本はいま大きな転換点に立っている。高齢化、低迷する生産性、そして高まる地政学的リスク。課題は山積しているが、同時に大きなチャンスも存在する。日本は再び自らを再定義し、世界における影響力を取り戻すことができるのか━━。その可能性を探るべく、長年にわたり米国上級外交官として日米関係の促進に尽力し、現在は北カリフォルニア・ジャパン・ソサエティ(JSNC)の会長を務めるラリー・グリーンウッド氏に話を聞いた。インタビューを通じて、日本が直面する課題と、進むべき方向についてヒントを得ることができた。
日米貿易摩擦交渉の最前線から、ビジネス、そして非営利組織へ
吉川:ラリーさんは長年、日米関係の促進に尽力されてきましたが、もともとはどうして日本に興味をもたれたのでしょうか?
ラリー:子供の頃からアジアに対する関心をもっていました。父が海軍に所属しており、アジアに駐在していたことがきっかけで、アジアに対する好奇心が芽生えました。大学では東アジア研究を専攻し、関西での留学中には大阪のホストファミリーと暮らしました。文化や人々、そしてその謙虚さに深く共感したことを覚えています。
その後、米国外交官として1986年から1991年まで東京に駐在しました。当時はまさに日米貿易摩擦の真っ只中でした。その前線で仕事をできたことは、日本の経済、外交、政策について徹底的に学ぶ素晴らしい機会となりました。その後20年にわたり、貿易交渉や経済政策、金融分野などを通じて日本と密接に関わり続けてきました。MetLifeでアジアの政府対応責任者を務めた期間も含め、合計14年間日本に住んでいました。
吉川:米国への帰国後は北カリフォルニア・ジャパン・ソサエティ(以下ジャパン・ソサエティ)でリーダーシップを取られていますね。ジャパン・ソサエティの役割をどのように考えていますか?
ラリー:ジャパン・ソサエティは、100年以上にわたり日米関係の強化に貢献してきました。文化、ビジネス、政策の対話を通じて、両国の架け橋となることをミッションとしています。特に私たちはシリコンバレーに位置しているため、日本とシリコンバレーを結ぶ役割を担っていると自負しています。プログラムでは貿易、経済政策、技術協力などの重要なテーマについて議論を促進しています。
ユニークなのは、全米各地に存在する個々のジャパン・ソサエティがそれぞれ独自の歴史と特徴をもつ独立した団体であり、政府主導ではなく、草の根レベルで運営されている点です。これは他の二国間関係ではあまり見られない特徴だと思います。
吉川:確かにそうですね。私自身もジャパン・ソサエティの理事会に参加させていただく中で、日米にまたがる人々の強い思いを感じています。
ラリー:日米関係には特別な何かがあると感じています。戦争、経済競争、政治面の変化などを経ても、この草の根の関係は持ちこたえてきました。1980年代の貿易摩擦の時期でさえ、両国の人々の間には強い個人的なつながりがありました。これは非常に珍しいことで、政府レベルの外交にとどまらず、友情やビジネス、文化交流といった人と人との関係が時の試練に耐えてきたのです。このように、日米の間には政治を超えた深い絆があると思います。
