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2025.03.29 15:15

【追悼】担当編集者が回顧する「作家・曽野綾子という人」

本田氏が編んだ曽野氏著作の数々

本田氏が編んだ曽野氏著作の数々

2月28日、昭和を代表する作家の1人である曽野綾子氏が93歳で亡くなった。

以下、2005年から曽野綾子氏の担当編集者として実に20冊あまりの書籍を編み、氏と深く親しく交流した編集者の1人である興陽館編集部長 本田道生氏に、曽野氏の思い出についてご寄稿いただいた。


話は企画から食べ物、猫まで

曽野綾子さんが亡くなられて1カ月がたとうとしている。4年前に転倒されてからご自宅で療養されて打ち合わせのためにお会いすることも出来なくなったが、私が、編集者として、ご自宅に伺った頻度がもっとも多い著者の方のおひとりだった。

思えば、曽野さんが当時理事長をされていた日本財団に「本を出していただけませんか」と飛び込み打診をして最初の本を刊行させていただいてから、もう20年がたとうとしている。その間、私も出版社を変わりながらも、3カ月に1回はご自宅にお邪魔していた。

身辺整理、わたしのやり方』『一人暮らし』『終の暮らし』『九十歳』といった老境の心情をつづられた本を、もう20冊は刊行させていただいた。

曽野さんのご自宅の客間では、いつも他愛ない雑談を交わしていた。企画の話から食べ物や猫の話に飛んで、そんな話を毎回2、3時間していた。それが仕事の骨休みになっていたようにも思う。

曽野さんはよく、「大手出版社や新聞社の人は局長から担当まで何人もでやってきて、偉い人だけがしゃべってほかの人は横にいるだけだけど、あなたはいつもひとりでやってきてえらいわね」とおっしゃっていた。

骨折レントゲン写真をTシャツに……

曽野さんは、凛とした潔癖な方だったようにも思う。

それ以上に、気遣いがある優しく話し好きな人で、お茶目なことが好きで、骨折したご自身の骨のレントゲン写真をプリントしたオリジナルのTシャツをいただいたり、市販のお煎餅を焼いてくださって、お煎餅は火で炙るととても美味しいのよ、と食べ方には工夫をいとわずに創意工夫されていたり、二匹の猫を飼っていらっしゃって猫の話になると止まらなくなったり、打ち合わせは楽しかった思い出しかない。

自身のレントゲン写真がプリントされたTシャツ
自身のレントゲン写真がプリントされたTシャツ

楽しい中にもときどきすごく鋭いこと、心を打つような作家の言葉をおっしゃって、それを本のタイトルやコピーに使わせていただいたりした。

玄関を開ける音がしてご主人の三浦朱門さんが帰ってこられるとご挨拶をしたり、秘書の方たちとも顔なじみで、曽野さんの二匹の猫がじゃれついてきたらなでたり、わりとそれが日常で、もうそういうこともないんだ、と思うと寂しい気持ちになる。

いつまでも昨日と同じように打ち合わせをして、楽しく本を編集してはいられないんだ、ということに気づく。

曽野綾子(その・あやこ)◎東京生まれ。聖心女子大学英文科卒業の1954年に発表した「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。小説『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』、新書『アラブの格言』などのほか、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などエッセイでも知られる。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。97年、海外邦人宣教者活動援助後援会代表として吉川英治文化賞ならびに読売国際協力賞を受賞。


本田道生(ほんだ・みちお)◎興陽館編集部長。2005年から曽野綾子氏の担当編集を務める。大学を卒業後、パルコ出版事業部、三笠書房、イースト・プレス書籍部長を経て、現在、興陽館編集部長。年間15冊から20冊のペースで、一般書籍を中心にノンジャンルで編集している。編集担当した近刊は、『身辺整理 死ぬまでにやること』(森永卓郎著)、『死ぬまでひとり暮らし』(和田秀樹著)、『身辺整理、わたしのやり方』(曽野綾子著)、『お金の話』(ひろゆき著)『孤独がきみを強くする』(岡本太郎著)、『あした死んでもいい片づけ』(ごんおばちゃま著)、『秒で見抜くスナップジャッジメント』(メンタリストDAIGO著)、『生きる意味』(アルフレッド・アドラー著)、『85歳のひとり暮らし』(田村セツコ著)など。

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