【重要なお知らせ:当社を装った偽サイトにご注意ください】

SMALL GIANTS

2025.03.03 17:15

人形町今半のブランドの価値の再発見 「おもてなし」とフェアな経営とは

「この条件で売却が決まった」とうちの父に報告したら、ひっくり返って驚きましたね。売却益のおかげで、人形町今半始まって以来の利益が出たと大騒ぎになりました。

以前から、ホテル経営を学びたいと留学希望があったのですが、顧問会計士が父に「今回は哲郎さんの手柄ですから、留学を認めてあげてください」と口添えをしてくれ「行ってきなさい」、と父より送り出されました。

──留学先ではどのようなことを学ばれたのですか?

アメリカのコーネル大学で、観光ビジネスのプロのための大学院に通い、イギリスのホテルのアドバイザーとしてダイニングを担当もしました。その経験から、海外でのオペレーションにも淡い自信を持てるようになりました。

レストランの現場で大苦戦 自分は「机上の空論」だった

──帰国後に、人形町今半新宿ルミネ店の店長として再始動しますね。

帰国後、「新宿に新しく店を出すから店長をやれ」と言われ、軽い気持ちで引き受けたんです。ところが、私は机上の空論ばかりで、レストランビジネスがどれだけ大変なものか全然わかっていなかった。実際には「体力と勘と度胸とど根性」が不可欠で、本当に空回りしましたね。ミスばかりして、パートの準社員さんたちに叱られながら無我夢中でやっていました。

──その後、人形町本店の店長に就任されましたが、そこでのお仕事はいかがでしたか?

これまたルミネ店とは全然違いました。またイチから出直しです。時代からいえば平成から急に昭和に移ったような古い慣習やしきたりが優先する店で驚きました。お客様もうちの従業員もベテランの方々ばかりで、若い新参モノを店長と認める雰囲気はありませんでしたね。

代替わり直後に訪れたBSE、そして清算の危機

──2001年に、お父様が取締役社長を引退されましたね。

兄が社長、私が副社長となりました。父も74歳になり、我々もいろいろ成果も出していたので、「もうお前らの時代だ」と。さまざまな事業への向き合いを見ての決心だったようです。人形町今半として創業し40年、大家族のように従業員を本当に大事にする会社を創り上げた大社長でした。

──承継から3カ月後、牛肉を扱う会社にとって致命的なBSE(狂牛病)という大きな試練に見舞われたそうですが、この難局をとうやって乗り切ったのでしょうか?

父は幅広く事業を起こす人でした。借入返済ではなく金利払いを中心にした事業計画で、BSEが始まる1年前にはすでに債務超過になっていました。その時期に父を支え当社のブランドアイコンであった母が急逝しました。社内は悲しみに暮れましたが一枚岩になれました。そして母の生命保険金が入金され母の命で資金も補われ乗り切れたのです。

しかし、2001年10月にBSEが発生したときは、さすがにもうダメだということで、父が私たちを呼んで、会社を清算すると提案しました。

清算方法の助言を求めて我々3人で企業弁護士の先生に面談すると、財務表を見た弁護士さんがなんと、「お宅の会社は潰れないですよ」と。「手形を発行してない、支払いを少し遅らせてもらうだけで、生き延びられます、そしていずれ打つ手は出てきますよ。」とご助言いただいたんです。BSEの逆風で事業を全否定されていた感覚から我に返った瞬間でした。

全お取引業者様のご厚情により支払期間を延ばしていただき余裕が出てきました。基本、現金商売の事業で、その強みを生かしていない経営だったのです。自分たちでは分かっていなかったということです。我々の代は、財務面を強化してより良い会社創りを目指していくことが必要と痛感した大事件でありました。

次ページ > 社長交代で変わったこと

ForbesBrandVoice

人気記事