中国国内で現代的な飲食チェーンが生まれたのは、2000年代からといっていい。その少し前の1990年代から各地でローカル飲食チェーンの原型が現れていた。
有名なのが、福建省が拠点の「沙县小吃(シャーシェンシャオチー)」や山東省の「楊銘宇黄燜鶏米飯(ヨウメイウファンメンジーミイファン)」、そして甘粛省の「蘭州牛肉面」だ。いずれのチェーンも、現在、中国全土に数万軒規模で展開しているというから驚きだ。
この3つの飲食チェーンはすべて日本にも出店している。中国の本部から商標やノウハウを提供され、個人オーナーたちがフランチャイズ経営しているケースが多い。日本在住の中国の人たちは、地元で見慣れていることから懐かしさを感じているだろう。
ではこのようなローカル飲食チェーンが中国に現れた背景には何があったのか。
名古屋大学大学院経済学研究科の中本信彦准教授の論文「中国回族ビジネスにおける宗教と政治-蘭州拉麺、チベットビジネス、イスラーム金融-」(2014年)によると、1980年代の中国の改革開放政策による個人経営の解禁と、経済成長にともなう外食習慣の普及が背景にあるという。
さらに、ここがポイントなのだが、地方政府による農村部の貧困からの脱却支援としての出稼ぎ推進の取り組みがあり、とりわけ多くの回族が各地で飲食店を開業した。それが蘭州拉麺だった。
面白いことに、本来は蘭州発祥であるにもかかわらず、実際には青海省化隆回族自治県という特定の地域の出身者が経営しているケースが多いのだという。これは福建省三明市沙県出身者が全国で「沙县小吃」を展開したのと似ているが、蘭州拉麺を広めたのは蘭州人ではなかったというのだ。
ところが、こうして全国に散った回族たちは「現世のすべては一時的なものであり、来世こそが永遠なのであって、現世の金は足りればそれでよい」という宗教上の認識から、家族経営から脱することが難しいという。そのため、中国で現代的な蘭州拉麺のチェーン化を推進しているのは漢族というのが実態のようだ。
ともあれ、こうした出稼ぎ向けの飲食経営のフォーマットが中国で完成し、それをセットで持ち出すことでどこでも商売が始められる、それが日本で蘭州拉麺の店が増えた1つの理由と言えるだろう。ガチ中華出現の背景に、中国由来の既存の飲食システムの持ち込みがあったというのはこのことである。
