たとえば、給油のために立ち寄ったガソリンスタンドには、武装した数人の男たちがいて、少し離れた場所にリンチを受けた元仲間であろうか、二人の男が吊るされている。どういう事情があったのかはわからないが、対立と憎悪の凄まじさだけは伝わる場面だ。
また、荒れ果てた元ゴルフ場で、姿の見えない敵からの攻撃にひたすら反撃し続ける男たち。彼らは恐怖に支配されており、その場に釘付けにされてしまっている。
かと思えば、嘘のように平和な静けさを保っている町の洋品店の女性店主の、「(内乱が起こっていることを)知っているけど関わらないようにしている」という言葉。しかし通りのビルの上には、他の街と同様にスナイパーの姿が見える。
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怯えながら見えない敵と闘い続ける民兵と、現実に目を瞑って日常に引き篭もる店主は、状況に対してまったく正反対の姿勢でありながら、私たちの姿とどこか重なってくる。暴力に覆われた世界で、あなたはどちらの態度を取るだろうか?もしどちらでもないとしたらどうするだろうか?と問われているようだ。
ジャーナリストは、このどちらの立場にも立たない。彼らは出来事の渦中に飛び込み、それを映し取り、人々に伝えようとする。高い社会的評価を獲得しているベテランカメラマンのリーと記者のジョエルは、その見本として描かれている。だが旅を続ける中で、彼らは深い傷を負うようになる。
「どういうアメリカ人か」
そのクライマックスとも言える出来事が、銃を構えた赤いサングラスの男(ジェシー・プレモンス)に捕まる場面だ。少し前に一行に合流していたジョエルの友人のアジア系ジャーナリストの一人は、一足先に殺されている。瞬時に彼は外国人と見なされて撃たれたのだと判断し、両手を上げて「我々はアメリカ人です」と言うジョエルに、「どういうアメリカ人か」と、顔色ひとつ変えずにサングラスの男は問う。![](https://images.forbesjapan.com/media/article/76524/images/editor/e3b51c3c1b0c0ae78cf9996b9ddc08d4f07d4dd2.jpg?w=1200)
敵と味方に分かれて闘っている国内で、「我々はアメリカ人です」はあまりに間抜けな言葉である。あたかも海外の戦場ではぐれ、偶然味方に出くわした米兵が口にするような台詞だ。「我々はアメリカ人です」と言えば助かる、そんな”アメリカが正義”の時代はとうに過ぎ去っているのだ。
「どういうアメリカ人か」と問われ、一人ずつ恐る恐る出身地を答えるジョエルとリーとジェシー。それらに対し、サングラスの男は小馬鹿にしたようなコメントを呟く。恐るべき緊張感が場に漲っている。