外国語修得といえば、US国務省系機関が、ある興味深い「計算」をしている。「英語ネイティヴにとっての外国語修得に必要な時間」を各国語について算出したのだ。
米国国務省によるこの「言語修得に必要な時間指標(language learning timelines)」と、認定された「日本語の驚くべきポジション」について、非帰国子女でもある語学学習のエキスパートとして、高以良氏が以下、考察した。
なぜ日本人は「話せるようにならない」のか?
「学校で習ったはずなのに英語が話せない」「英会話に通っているのに話せるようにならない」耳にタコが何杯もできるくらいよく聞く、しかも何十年も聞き続けてきた英語に関する日本人による嘆きである。外国語の習得はことほどさように難しいようだ。ではそれは、日本語を母語とする私たち日本人に限ったことなのか?その答えはおそらく否、と筆者は考えている。ともすればヨーロッパの人は簡単に数カ国語話せるとか、シンガポール人の多くがマルチリンガルだとかという特定の事実に影響を受けて、日本人は語学が苦手だ、と結論づける向きも少なくない。
かくいう筆者自身も“語学が苦手な日本人の一人”として、複数の国籍の生徒が出席していた中国語の授業で中国人の先生に、あまりの発音のできなさに笑われ、「まあ、日本人が言語を学ぶのが得意じゃないと言うのはよく知られた事実だから」と言う嘲りをクラス全員の前で食らった経験を持つ人間である。
なので、筆者自身、語学の才能がある人間ではないため、外国語の習得は難しいという向きには同意する。だが、どちらかというと、外国語の習得は「難しい」というより「時間がかかる」類のものなのではないかと考えている。それは、語学に限らず、何のスキルであっても、どんな科目でも、マスターするには時間がかかるのと同じだ。
例えば、中学高校では、たいがい英語だけでなく数学も学ぶと思う。では卒業してから何十年か経った今、数学ができるか? 使える数学が身についたか? というと、筆者のケースではそんなことはないようだ。小学校の算数程度であれば買い物をする際にも使っているしおこがましくも「できる」と言えなくもないが、高校数学で学んだ微分積分は当時も今も大して「できない」し、さらに言えば生活上で使う機会もない。学校教育ではもちろん基礎を教わることはできるけれども、ある程度きちんと「できる」レベルに持っていくためには、学校だけではなく個々人の継続的な努力が必要なのだ。
……というような事実が、英語をはじめどんな語学にも当てはまるのではないか、と筆者は考えている。語学をマスターするための継続的な努力の量、これを米国の機関では数字に落とし込んでいる。
具体的には、米国国務省には米国の外交官向けの外国語の習得をつかさどる教育機関が存在し、英語を母語とする人が外国語を学ぶ際に必要となる学習時間を公表している。