9月に発表した最新作『アーセナルにおいでよ』(水鈴社)の題材に「スタートアップ」を選んだあさのあつこは、柔らかな笑顔でそう語る。本作の執筆に向けて取材を進めるうちに、現代を生きる若者たちが秘めるエネルギーと、彼ら・彼女らが社会を変えようとする静かな熱量に心を打たれたのだという。
あさのといえば、青春野球小説『バッテリー』シリーズ(1996年〜)や、近未来を舞台にしたSF小説『NO.6』シリーズ(2003年〜)など、少年少女たちの揺れ動く心情を繊細な筆致で描き出し、子どもから大人まで多くの読者に愛されてきた。そんな人気作家がなぜ今、起業を目指す若者たちに注目したのか。
「実は『起業ブーム』だなんてことも全然知らなくて」と茶目っ気たっぷりに笑うあさのが、本作を通じて現代社会に投げかけたメッセージとは。
令和の若者が持つ「静かなエネルギー」
『アーセナルにおいでよ』は、高校生の千香が、幼馴染で初恋の相手でもある甲斐からスタートアップの創業メンバーに誘われるところから幕を開ける。容姿にコンプレックスを抱える千香、中学時代に不登校を経験した甲斐、詐欺に巻き込まれ逮捕歴のある陽太、バツイチのコトリの4人の若者は、それぞれの痛みを抱えながらも「アーセナル」という会社を立ち上げ、社会と向き合っていく。
構想の出発点は、編集者からの「現代の10代の少年少女が主人公のお話を」という依頼だった。あさのは、まず「どういう人物を書きたいか」を考え始め、最初に浮かんだのが起業の旗振り役となる甲斐だった。
「彼の声質や髪の毛、顔立ちといった人物の輪郭ができてくるうちに、『彼は中学や高校の生活をまっすぐ生き延びるのは難しいだろうな』と、生い立ちも鮮明になってきました。『じゃあ彼は何をするんだろうか』とストーリーを考えていったときに、スポーツでもなければ学園物語でも冒険でもない、現実の中に新しいものを生み出す物語がふさわしいと感じたんです。そこで“起業”に辿り着きました」
ただ、起業は未知の世界だった。執筆にあたっては、実際に起業に関する書籍を読み、若手起業家たちのインタビュー記事を参考にしながら、現代の起業家の考えを探っていった。
「『より大きな塊になることが良い』とか、『成長し続けるのが良い』とか、そういうパワーゲームからは外れているような気がして。『私たちで世界を変えてやるぞ!』と大きな変革を目指すよりも、『目の前の小さな課題を、自分たちの手で解決していこう』という姿勢がいいなと思ったんです」