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2024.11.04 10:00

時価総額1兆円の「医療AI」企業が日本進出、グルーポン創業者の次の一手

「この会社を始めると決めたとき、もう二度とCEO以外の役職には就きたくないと思った」と彼は語る。「私は、自分で決断を下すのが好きだ。それがうまくいったときの責任を負うのも、失敗したときの責任を負うのも好きなんだ」

大学1年生で年間10万ドルの事業

ミシガン州ウェストブルームフィールドでエンジニアの父と教師の母のもとに生まれたレフコフスキーは、三人兄弟の末っ子で、兄弟全員がミシガン大学に進学した。彼は大学1年生の時にビジネスの才能に気づき、学生向けにカーペットを販売して年間10万ドル(約1520万円)を稼いだという。

「行動することを恐れたことはない。これはビジネスにおける私の最大の強みの1つだ。アイデアを思いついたり結論に達したりしたとき、私は即座に迷わずに行動する」と、レフコフスキーは2012年に書いたブログで述べている。

1999年、レフコフスキーは法科大学院の同級生であるブラッド・キーベルと共にシカゴに移り、初期のインターネット企業Starbellyを創業した。同社は天文学的なスピードで拡大し、2人は9カ月後に同社を2億4000万ドル(約365億円)で他社に売却したが、その企業はすぐに破産した。

その後の数年間でレフコフスキーは様々な分野で会社を設立した。2001年には、マーケティング関連のInnerWorkingsを共同創業し、2005年には物流企業のEcho Global Logisticsを設立。さらに2006年には広告関連のMediaBankを設立した。

その後、InnerWorkingsの社員の一人が集団型のEコマースに基づいたアイデアを提案したことで、2008年にグルーポンが誕生した。同社は、急速に成長し、2011年には130億ドル(約1兆9800億円)の評価額でIPOを実施し、レフコフスキーは初めて『フォーブス400(米国長者番付)』にランクインした。しかし、グルーポンは収益化に苦戦し、株価は間もなく急落した。同社の時価総額は、今では当時の5%未満に落ち込んでおり、レフコフスキーを含む取締役の大半は昨年辞任した。

テンパスAIの設立にあたっては、個人的な情熱に支えられたとレフコフスキーは述べている。「ビジネスを築くことは子育てに似ている」と、彼はフォーブスに語った。

この会社が設立当初に、営利企業になるか非営利団体になるかさえも確信が持てなかったレフコフスキーは、1億ドル(約152億円)を超える自己資金を投入し、自身のベンチャーキャピタルのLightbank(ライトバンク)からも出資した。「誰にも利益をもたらさないかもしれないと恐れていた」と彼は語る。

ソフトバンクとの合弁で日本に進出

しかし、その状況は間もなく変わった。テンパスAIは、彼の以前の会社と比べてゆっくりと拡大し、今年初めに、ソフトバンクとの2億ドル(約300億円)の合弁事業を通じて日本に進出した。同社は、設立から9年で上場を果たしたが、レフコフスキーの他の3回のIPOは4〜5年で行われていた。

この進展のペースは、レフコフスキーにとっては、これまでのスピードと比べてはるかに遅いものだが、医療業界のベテランたちはそうは感じていなかった。「テンパスAIは、ヘルスケアの企業としては急速に成長した」と同社の元最高科学責任者のダドリーは語る。
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編集=上田裕資

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