トラック運転手からビリオネアに
粟田が起業を志し、ビリオネアに上り詰めるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。13歳で父親を亡くした彼は、母親に育てられ、神戸市外国語大学に進んだが、家計を助けるために中退し、喫茶店で働いているときに料理の楽しさに出会ったという。「料理をつくり、客に提供して『おいしい』と言ってもらうことに喜びを感じた」と彼は振り返る。自分の店を持ちたいと思い立った粟田は、トラックドライバーの仕事で資金を蓄え、1985年にトリドール三番館という名前の焼鳥居酒屋をオープンさせた。しかし、事業拡大には苦戦した。
新しいアイデアを思いついたのは、うどんで有名な香川県にある亡き父の故郷の丸亀市を訪れたときだった。うどん屋の店先には長い行列ができており、客の目の前で麺を茹でていた。粟田はその時の感動をきっかけに「うどんを目の前でつくる体験の価値で集客できる」と発案し、2000年にセルフ式うどんチェーンの丸亀製麺を立ち上げたと述べている。
丸亀製麺は、工場で生産された麺ではなく、茹でたてのうどんを提供することをモットーとしている。客は好みのトッピングを選び、つゆとともに楽しんでいる。
チェーンの拡大にともない、粟田は2006年、会社を東京証券取引所に上場させた。当初は新興企業向けの東証マザーズに上場したが、2年後には東証一部に昇格。その結果、トリドールはその後の事業拡大に向けた資金を得た。
グローバル展開への意欲は、2009年に訪れたハワイで観光客の群れを見たことから始まった。2011年にワイキキに開業したMARUGAME UDONの第一号店は、世界中の同ブランドの店舗で最も高い売上を誇っているという。
トリドールは他の多くのレストラン企業と同様に、新型コロナウイルスの影響で大打撃を受け、2021年3月期には赤字に転落したが、その後はテイクアウトの増加やカップ入りうどん、初のドライブスルー店舗の開設などにより再び黒字化した。
粟田は、体型を維持するためにかつてはハーフマラソンを走っていたが、現在は朝の散歩やジョギング、ゴルフなどにとどめている。彼はまた、抽象的なモノトーンの絵画で知られる在日中国人アーティストの婁正綱(ろうせいこう)といった現代アート作品の収集にも熱心で、東京の広尾にプライベートギャラリーを開設した。
粟田は、しばしば自分の店に予告なしに立ち寄るが、スタッフにはほとんど気づかれず、他の客と同様に扱われるという。「並んで待つように注意されることもある。その時はきちんと従う」と彼は笑う。
粟田は今も世界的なフード帝国を築くという夢を追い続けている。「私には大きなビジネスを運営したいという欲望がある。ここで終わりたくはない」と彼は語った。
(forbes.com 原文)