「媒体に掲載することはゴールではない」PR戦略
豊岡市にとって、田口さんは進むべきビジョンの解像度をぐっと上げてくれた存在。田口さんと一緒に動くうち、谷口さんにはこんな変化が訪れたのだとか。
「情報発信というのは、媒体に載せることだけがゴールじゃなかったんです。(受け手に)興味を持ってもらい、豊岡に来てもらうのがゴール。さらに豊岡に来てもらったときに、受け皿として提供できるものがなくてはいけない。全体を設計する構想の必要性に気づきました」(谷口さん)
箱根の山を越えて大交流を生み出すためには、地域資源のリブランディングも不可欠だった。
「文学のまちのイベントや城崎温泉発の出版レーベル『本と温泉』が始まったり、伝統的な木造建築と現代建築家の融合も起こりました。建築の融合は、三木屋(『城の崎にて』の作者・志賀直哉が滞在した老舗宿)のリノベーションがきっかけです。それまでは地域の建設会社と工務店にお願いすることがほとんどでしたが、いろいろな建築家が城崎に関わってくれるように」(谷口さん)
まち全体を巻き込んだ、城崎温泉に古くから根付く“共存共栄”のまちづくりには、田口さんのアイデア、そして谷口さんの調整力も欠かせなかった。
「僕が提案するイベントの作り方や仕組みは、市役所では今までにしてこなかったものばかり。それを市役所の中で、事業としてオーソライズしていく流れを谷口さんが作ってくれました」(田口さん)
「市役所って言語が違うし思考も違うんですよ。僕は田口くんと市役所の間で、翻訳家みたいなことをしていたのかなと思います。どういう風にどのタイミングで誰にどう話していくと、役所の中で物事が動いていくのかを整理していた感覚です」(谷口さん)
ヒカリエのd47食堂で提供した「豊岡定食」
田口さんと谷口さんの信頼関係も深まり、本格的に始動した大交流アクションプラン。中でもテコ入れが必要だったのが、東京で開催する「豊岡エキシビション」だ。首都圏における豊岡市の認知度を向上すべく、新しい情報発信モデルの確立が必要だった。「豊岡エキシビションの目的は、関西では知られている豊岡の取組や観光資源を東京のメディアにも知ってもらい、全国区にしていくことでした」(田口さん)
効果的な戦略を模索する中、誕生したばかりの渋谷ヒカリエに親和性を見出した。
「ヒカリエの8Fに、ナガオカケンメイさんと東急が連携して創設したd47があるんです。d47は、47都道府県をテーマに地方のことを発信するスペース。d47食堂では富山定食や北海道定食といった、都道府県単位での定食を提供されていたのですが、食材が豊富な豊岡なら、市単位でも可能だろうということから、豊岡定食を作ってもらうことにしました。豊岡エキシビションでは、地元食材でのもてなしが一番喜んでもらえるのですが、コストもかかりますし、その場で食べた人だけが楽しめるだけで、そこから情報がなかなか広がっていかないことが課題でした。定食というメニューにしてもらうことで、コストを抑え、多くの人に食べてもらう機会を作り、情報が広がって行くことを目指しました」(田口さん)
2013年に期間限定で提供された豊岡定食には、シロイカやハタハタ、石もずく、旬の野菜など豊岡市自慢の食材がふんだんに使われた。
「さらに豊岡市といえばコウノトリがPRポイントだから、期間中は全ての定食のお米を『コウノトリを育む農法』(コウノトリ保護の観点を取り入れた無農薬・無化学肥料農法)で生産したお米にしてもらい、その旨を冊子に掲載し、豊岡市のコウノトリ野生復帰のストーリーを知ってもらうきっかけとしました」(田口さん)