世界中が同じような街並みになる中で豊岡市はどうするか
交流人口を増やすために、豊岡市が2013年に新たに設置したのが「大交流課」だ。大交流課に谷口さんが配属されたのは、本人の強い希望があったから。
「急速なグローバル化の進展で、世界中が同じような街並みになっていくけれど、豊岡市のような小さな町が生き伸びるには、グローバルを追いかけるのは違うはず。豊岡らしい歴史や風土に根付いたまちづくりをしていくことで、地域が輝きます。そのためにも豊岡の存在を知ってもらうこと、人・情報・モノ・コトの交流が必要だということで、大交流課ができました」(谷口さん)
「僕は民間で2年間働いてから旧豊岡市役所に入職しました。2005年に1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併して豊岡市となりました。僕は合併のための事務局に派遣され、合併に携わったんです。その後は企画課、都市整備課を経験。大交流課ができたときはすごくワクワクして、行きたいと手を挙げました」(谷口さん)
大交流課初代係長として意気込んだ谷口さんだが、わからないことの連続だったと当時を振り返る。
「情報発信といっても、市役所の記者クラブに情報を投げるくらいしかできませんでした。メディア掲載だって、取材する側が見つけてくれないと取り上げてもらえなくて……」(谷口さん)
当時の市長が掲げていたのが「(情報発信で)箱根の山を越える」という目標。そこにはどんな狙いがあったのだろう。
「東京発のニュースに取り上げられるような取組をして、豊岡の情報を日本全国に届けたかったんです。けれど東京で『豊岡エキシビション』というPRイベントを開催しても、なかなか決め手がありませんでした。意思を持ち体制を整えたものの、やり方がわからない。そこに田口くんが来てくれて一気に開けたんです」(谷口さん)
アドバイザーに就任した田口さんは、市役所に足繫く通うように。
「谷口さんが僕のための場所を作ってくれたというのがすごく大きいんです。それまでは誰かに豊岡の課題について話をしても、感心してくれるだけでした。アクションを起こせる人は(谷口さん以外に)いなかったんですね」(田口さん)
「何かピースが欠けているところに田口くんが来てくれました。副市長の目から見ても、田口くんは豊岡市役所に必要だと感じていたようでした。メディアとのネットワークを繋いでくれるなど、PRの方法を洗練させてくれました」(谷口さん)