1623年、イギリス政府は特許の原点である「専売条例」を制定。〈特許制度による発明の保護により発明者が最新技術を自ら進んで公開するようになり、発明が爆発的に増加(中略)。農業国から近代的な工業国へと変貌し、世界第一位の工業大国へと発展した〉(出典:『産業革命史 イノベーションに見る国際秩序の変遷』著者・郭四志)。現場の職人が仕事の省力化を図る過程で技術開発を行っていった。その実用化で利潤が生まれるため、農民も職人もこぞって起業。イギリスは金融ネットワークが発達していたこともあり、資金援助が行われていく。そこに蒸気機関の発明というエネルギー革命と、植民地支配という搾取構造を背景に産業革命につながった。
アメリカは1790年に特許法を制定。発明者のモチベーションを上げる制度と実学重視の教育が、アメリカをイノベーション大国にしていく。エジソン、ベル、ウェスティングハウス、ライト兄弟など世界史を変えた発明起業家が登場した。
ダイムラーらによるガソリンエンジン搭載の自動車を生んだドイツも、工業学校という実学教育と特許制度が整備されていた。そして、日本も大日本帝国憲法の制定よりも早い1885年、高橋是清が特許制度を整え、初代特許局長に就任。それからたった3年で、特許出願件数は1万件を突破した(前出『産業革命史』)。ここで登場したのが豊田佐吉ら明治の発明起業家たちだ。
当時の日本の起業熱は特許制度だけが伏線ではない。起業家に影響を与えたのが、二宮尊徳の報徳思想である。江戸後期に荒れた寒村を次々と再興させた農政の実践家、二宮尊徳の思想がブームとなり、豊田佐吉、渋沢栄一、安田善次郎、御木本幸吉らのちに経済人となる多くの人に影響を与えた。新しい社会をつくろうという熱気は、特許制度を起点にして、先人の思想と欧米に対するキャッチアップ精神が融合。つまり「制度と人」の相互作用が、影響力のある思想とともに「希望のある物語」に昇華していくのだ。
ところが現代になると、東芝やシャープのように、発明を得意として多数の特許を誇る企業の経営が立ち行かなくなる。日本はキャッチアップされる側になり、新興国の「後発者メリット」によるキャッチダウン戦略(簡素化した機能の商品で巨大市場を先に獲得)で、シェアを奪われる。
では、新たな変化を生み出すにはどうしたらよいか。変化は「今、自分たちがもっていること」を工夫しようというマインドから始まる。既存資源から富の創出を最大化できれば、それがイノベーションであり、「次にくるもの」だ。