アジア

2024.05.30 09:15

北朝鮮の人々はどっちが好き?『親しいオボイ』と『イムジン河』

イムジン河(Yido Kum / Getty Images)

イムジン河(Yido Kum / Getty Images)

「イムジン河 いつの日も 清らかな水たたえ 鳥は楽し気に 自由に河に舞う 帰ろう故郷へ 翼あるなら イムジンの流れよ 答えておくれ」

韓国出身で、日韓両国で活躍している歌手、キム・ヨンジャさんが2001年の紅白歌合戦などで歌った「イムジン河」の一節だ。イムジン河(臨津江)は北朝鮮の咸鏡南道から38度線を越え、韓国を流れる漢江に合流し、江華島に抜ける全長254キロの川だ。もともとは1957年、北朝鮮の音楽家によってつくられた。在日二世で作曲家・音楽プロデューサーとして北朝鮮との音楽交流に携わった李喆雨(リチョルウ)コリア・アーツ・センター代表はかつて、平壌で「イムジン河(リムジン江)」を作曲した高宗煥さんから作品ができた経緯を聞いたことがある。

高さんは「私が27歳のとき、当時、朝鮮で有名な詩人だった朴世永さんの自宅を訪れました。朴さんは55歳でしたが、同じソウル出身で親交がありました。朴さんの自宅でいろいろな話をするうちに故郷の話題になりました。ソウルに残してきた母や兄弟の話にもなり、その思いを、38度線を越えて北から南に流れるリムジン江に込めることにしました」と語ったという。

この曲はソプラノ独唱曲として作られた。だが、当時の北朝鮮は朝鮮戦争で荒廃した国土復興のため、「千里馬運動(一晩で千里を駆けたという伝説の馬のように、高速で国土建設を進めようという運動)」が唱えられ、大勢が一緒に歌える行進曲風の歌が好まれていた。北朝鮮で発表された「リムジン江」の二番は極端なプロパガンダ風の歌詞だったが、それでも時局に合わず、北朝鮮では流行らなかったという。

「イムジン河」は日本と北朝鮮をつなぐ歌として位置付けられ、1960年代末に日本で発売の動きが始まった。冷戦時代を背景に一時期、日本民間放送連盟が「放送禁止曲(要注意歌謡曲)」に指定したこともあったが、切ないメロディーと抒情あふれる歌詞が、多くの人々に愛された。
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文=牧野愛博

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