人間のもつ限界性がクリエイティビティを育む
上田岳弘「1日5000字書くと決めているんです」。その反復作業は筋トレに近い感じだと上田岳弘は言う。芥川賞作家にして、IT企業役員の顔ももつ彼は、起床時間や小説の執筆時間など、自己管理をすることで生活のリズムができるルーティンが気持ちいいのだそうだ。「囚人と何が違うんでしょう?」と聞くと、上田はこう答えた。「自由意志があるかどうかです」。
2015年『私の恋人』で三島由紀夫賞、19年『ニムロッド』で芥川龍之介賞、22年『旅のない』で川端康成文学賞を受賞した上田は、5歳のときから作家になることを目指していたという。小説を初めて書き上げたのは大学3年生のとき。その後も就職せず、アルバイトをしながら新人賞を目指した。そんな折、友人の起業に「執筆活動を充実させ生活の糧を得るため」に参画。34歳で新人賞を獲得、作家デビューし、昨年10周年を迎えた。
上田作品はいずれも「難解である」と評される。通底するのは、テクノロジーやサイエンスの進化の先にある世界と人類の姿。そこにはディストピア的な世界観と、仄暗い人間の欲望が、あたかも人類史を俯瞰する超越的存在のような目線で描かれる。
AIの時代に「人間がもつ制約や制限というものが重要になってくるのではないか」と指摘する。AIは人間が入力したアルゴリズムによって倫理という制限を超えられない。例えば、「人類は滅ぶべきか?」という問いに「人類は必要です」と繰り返すだろう。しかし、人間はわが身をていし、リスクを冒す覚悟でその限界点を変えることができる。それが「人間のクリエイティビティといえるのではないか」。
おそらく多くの「職業」がAIなどのテクノロジーの力によって成り立つ未来は遠くない。それは、作家という0から1をつくり出す人々でも例外ではないだろう。だからなのか。上田は取材中、しきりに「書き続けるため」という言葉を口にしていた。活動が続けられる喜びを語る彼がより重視しているのは、作品以上に人間としての「身体性」と「当事者性」を確認する作業のようにも思える。AI台頭時代の「働く」ヒントは、人間という主体を取り戻すプロセスから見えてくるのかもしれない。
日本の精神性を生かし自己実現するという幸福
板坂 諭東京・新富町のビルの谷間。近代的ビル群のなかに大正後期に建てられた古民家がある。かつて甘味処だった「井筒屋」と呼ばれるその木造3階の建物が、約100年のときを経て今オフィスとして活用されているのをご存じだろうか。
このリノベーションを手がけたのが、建築家でプロダクトデザイナー、アーティストでもある板坂諭だ。耐震工事を施したうえで全館がIoT化され、生まれ変わったこのサテライトオフィスは、特に板坂の会社の外国人スタッフが好んで利用しているという。
「人間の命は短い。けれど、建築は長きにわたって残り、人々に刺激を与え続ける」。板坂が建築家を目指した理由のひとつだ。手がけた作品は、サンフランシスコ近代美術館にパーマネントコレクションとして収蔵されたり、仏エルメスともデザイン契約を結んだりするなど、板坂は世界をフィールドに活動している。現在も、大阪万博のパビリオンを担当中だ。
板坂が建築士として大事にしているのは日本の精神性だという。「命を頂きながら生きている」と考える私たち日本人がもつ、万物に神が宿るという価値観。彼は2021年にエルメスで、バッグについた傷を隠せる「絆創膏のかたちをしたレザー製ステッカー」というアクセサリーをつくった。バッグを人に見立て、治癒するという発想で、ものを大切に長く使おうというメッセージを送っている。
板坂は、デザインをする際も、神々が宿っているという意識で対峙することで、細かく深いところにまで思考を張り巡らせるという。「日本は自然環境の厳しさが際立っています。災害も多い。だからこそ、千年残る建築を考え続けているのです」。「自己実現は最大の利益」と板坂は言う。「ボタンひとつでポンとできるようなことで、自己実現は起こらない。そこに至るまでのプロセスを味わうことが大切です。おそらく、建築家なら誰でもこの味を知っているはず」。
今後、AIを使って建築もアートも一瞬でできてしまう未来がやってくるかもしれない。しかし、ボタンひとつの仕事に働く幸せや達成感はあるのか。「ボランティアでもいい、自己表現の快楽を味わってみたらいい。きっと大いなる満足感がそこにあるはずだから」