2.インパクトのない装い
思い返しても、装いに関するインパクトが記憶に残っていない。筆者は仕事柄、装いの細かいところまで気になりモヤモヤすることが多いのだが、それがなかった。以前まで岸田総理のシャツの襟元がブカブカしているのが気になっていたが、それも改善されていた。
これらは褒め言葉だ。エグゼクティブ・プレゼンスにおける装いで重要なことは、インパクトを残すことではない。「カッコ良い装い」や「スタイリッシュな装い」も正解ではない。その人が発信するメッセージを補完する装いにすべきなのである。それができないのなら、少なくとも邪魔しない程度にする。ノイズをつくることが最も悪なのだ。
米メディアも好意的
総合的に見ると、まずスピーチライターが岸田総理の「英語が喋れる」「米国に住んだ経験がある」という人物背景を軸にスピーチを構成したことが、素晴らしかった。また、岸田総理自身がその軸に沿って努力の方向性を間違えていなかったことが、スピーチの成果につながった。大切なのは、「誰が・いつ・どの場所で・誰に向かって・何を伝えるのか」を明確にし、それに対してできうる最も効果的な手段とツールを選ぶことである。岸田総理のスピーチは、「英語は苦手ではない」という人が、国際舞台でスピーチをする際の良い参考例になる。英語をツールとして使う力のある人は、それをどんどん活かすべきだ。総理のスピーチを見ても分かる通り、語学に投資した時間や費用には、必ず良い評価と結果がついてくる。
演説とは、聞き手がいて、その人たちにメッセージが伝わること、さらにはそれを聞いた人々の行動を促すことが望まれる。「英語でやった」という既成事実の為に行う自己満足(社内的満足)の英語スピーチは、皆にとって不毛であるということも、ぜひとも頭のどこかにおいていただけたら幸いだ。
なお、アメリカメディアが取り上げていた岸田総理のスピーチに関する記事で、メジャーなメディアが書いたものを拾えるだけ拾って読んでみたが、総括的に好意的だったということを、纏めの言葉としておこう。