そう、この村は無防備な状態になっていたのだ。
この好機をロシア軍の第30独立自動車化狙撃旅団は逃さなかった。アウジーウカ中心部から北西に延びる線路沿いに数km一気に進撃し、オチェレティネの大半を掌握した。その南にあるノボバフムチウカ村も占領した可能性がある。
この前進はロシア軍によるウクライナ支配領域への侵入としてはここ数カ月で最速ペースのものであり、アウジーウカ西方のウクライナ側の防御線を崩壊させるおそれが出ている。この防御線は数カ月にわたって維持されてきたが、ロシア軍によって深く切り開かれつつある。
「パンドラの箱が開いた」。ウクライナの調査分析グループ、ディープステートはそう表現している。
ウクライナ軍の指揮官たちが恐慌をきたしていることは、彼らがオチェレティネの北から西にかけての突破口を防ぐために慌てて送り込んだ部隊を見てもわかる。第100独立機械化旅団である。第100旅団はウクライナ軍で最も新しく、最も軽装備の旅団のひとつであり、指揮官たちが求めているような最前線での緊急対応にはおそらく向いていない。
オチェレティネの防衛が崩れたのは第47旅団の責任ではないもようだ。M1エイブラムス戦車やM2ブラッドレー歩兵戦闘車など米国製装甲車両の中心的な運用部隊である第47旅団は、1年近くにわたって戦闘を続けてきたあと、切に必要とされている休息期間に入るため、オチェレティネからの撤収命令に従っていたとされる。
オチェレティネでの任務は第115独立機械化旅団が引き継ぎ、アウジーウカ西方の防御線を完全に維持するのに十分な兵力で、第47旅団がいたのと同じ戦闘陣地を途切れなく埋めることになっていた。
だが、うまくいかなかった。第47旅団の有名な中隊長で、ウクライナ軍による昨年の反転攻勢の過程で片足を失ったミコラ・メリニクは、第115旅団の「一部部隊がズラかった」と明かしている。
第115旅団が防御線を守らなかったために、ロシア軍の第30旅団をオチェレティネに誘い入れるかたちになった。ウクライナ軍の司令部はパニックに陥った。指揮官たちは、戦闘で疲弊している第47旅団に引き返して前線に戻るよう命じ、第100旅団には反撃を命じた。