「不器用な方法をとった、適切でない冗談」
判決を反語にしてみればよろしい。「我々は法律にのっとり、未成年の下着に手を入れて身体に触れることは、冗談かつ、10秒以内だったら良しとする」。事件はアヴォラの犯罪が焦点ではない。そこから発生した判決なのである。該当する行為があったことは、複数の目撃証言からも確証された。しかし犯罪に当たるかどうかという判断は、アヴォラに犯罪的意図があったかどうかにかかっていた。そして裁判官は、アヴォラにそのとき性欲がなかったと推察したのだった。アヴォラの心情を忖度したと言ってもいい。その行為は「不器用な方法をとった、適切でない冗談」だったと結論付けたのだ。
この“不器用な”高齢男性は日ごろから複数の女子生徒に「アモーレ」と呼びかけていたという。実際のところこの日も、「アモーレ、冗談だってわかってるだろ!」と教室まで追いかけてきて叫んでいた。
さて、日本にいるわたしたちは、スカートを一日たりとも履かない、イタリアの女子高生たちの日常を想像できるだろうか。誇張ではない。実際に1500日にわたり、わたしとクラスメートたちは、一度もスカートを履かなかったのだから。
ひととひととの距離が近く、それがゆえに「アモーレの国」と言われているイタリアという国の不文律が、いまかき乱されている。「アモーレ、冗談だよ!」と言われるときの胸が潰れるような気持ちを、どのように推し量ればいいだろう。
日本では渋谷へ行けば女子高生は制服をたくし上げてミニスカートにして階段を上っている。このたびの判決を受けたイタリアであれば、無数の男たちが「アモーレ、冗談だよ!」と、パンドラの箱を開けたような事態になるのかもしれない。イタリアの学校ではミニスカートはおろかキュロットだって履かないくらいなのだ。
ズボン以上のいったい何を、イタリアの親たちは与えればいいのだろう? 一秒であっても“冗談ごと”が起きないように、これまでも心を砕いてきた親たちは、夏になったらタートルネックのセーターでも着せればいいのかと問いかける。
高校時代の複数の友人に、この事件について見解を聞いてみた。返ってきた返答で興味深いものは、「高校時代にさ、一度だけ、スカートをクラスメートの女の子が履いてきたことがあったんだ。僕らは一日中授業に身が入らず、ずっとそわそわしていたよ」。草食男子社会に生きるわたしたちは、大陸を超えた向こうのひとびとの生態系をあまり理解できていないかもしれない。
ところで裁判官に伝えよう。言語学上でいえば、「冗談」とは、聞き手の共感を前提とした、人間関係をよくするための言語ストラテジーであることを。ある行為や発話が冗談として成立するには、聞き手から肯定的に受け取られ、ポジティブに受容される必要がある。
すなわち、「冗談ではない」と被害者が考えた時点で、いかなる場合も、司法はその言葉を用いるべきではないのである。
長谷川悠里(はせがわ・ゆり)◎エルゴン・ジャパン代表取締役。慶応義塾大学非常勤講師。イタリア ボローニャ国立大学卒業。ミラノ国立大学大学院修了。司馬遼太郎奨励賞。10代半ばでイタリアへ渡り、学生時代に起業。2018年イタリアで50年の歴史を持つグローバル・コスメティックブランド「eLGON」の日本国内での正規直営店を運営するエルゴン・ジャパン設立。女性起業家コンサルタントも務める。著書に『ダンテの遺言』(朝日新聞出版)ほか。