この疑問に対する答えは、「経済の繁栄は、『エコノミストにとっては』問題だ」というものだ。なぜなら、ほぼすべてのエコノミストは、あらゆる理屈やエビデンスにあらがって、「経済成長が物価上昇をもたらす」と信じこんでいるからだ。レビーをはじめとする博士号を持つエコノミストたちは、経済成長がもたらす効果について、完全に取り違えている。
「生産性の向上」は、「経済成長」を別の表現で言い換えた言葉だ。そして生産性の向上とは、より多くの人の手や機械が連携して、市場に出回る商品につながる生産を急速に拡大した結果として生じる成果だ。これは、経済学の基本だ。
18世紀にアダム・スミスが『国富論』の冒頭で挙げた、ピン工場の例を思い出してほしい。技術を身につけていない労働者が1人ですべての製造工程を担う場合、1日あたり1本しか製造できないかもしれない。だが、熟練した複数の労働者がそれぞれの役割を担い、連携して働けば、数万本のピンを生産できるはずだという話だ。
こうしたすべての知見を、先ほどのレビーの言葉に当てはめて考えてみよう。同氏が「FRBにとって困難な課題だ」と断じた経済成長は、現実には、物価が下落しつつあることを示す、この上なく確実なサインだ。
ここで、「経済成長」の言い換え表現である「生産性の向上」について、もう一度考えてみよう。ある市場で働く人の数が増えるとき、生産性を強力に押し上げる要因である「分業」が推進され、それと同時に、単位あたりのコストも下落する。もし我々が、レビーのいうところの、「家屋がひっくり返ることが竜巻をもたらす」というような、実態とは真逆の「インフレ」定義を受け入れる場合、物価高と戦うための最も確実な対策は、「労働者や機械の増加に見合うかたちで、投資を増やす」ということになる。
これはつまり、「世界規模での雇用急増の余波として起きた物価上昇」が、失業増加の自然な帰結だと主張するようなものだ(しかもエコノミストたちは、失業者を増やすことは物価高の対策になるという、誤った信念を持っている)。だが、何度でもいうが、いつであれどこであれ経済成長こそが、物価高を解消できるものなのだ。