回復も目の当たりにするが、逆に安心できる場所に来たからこそ噴出するドロドロしたものもある。その変化をスタッフも生活の中で、温かく、共に見守っていく場所。東京のピッコラーレに限らず、そのような居場所はここ数年全国に広がっている。
まずは目の前の命を守るために
これまで、困難な状況を抱えた妊産婦の居場所支援というと、公的には婦人相談所一時保護所、婦人保護施設や民間のDVシェルター、母子生活支援施設などへの入所が主だった。
しかし、婦人保護の枠組みだと、追跡してくるDV加害者がいない場合でも、安全のため場所は秘匿とされ、多くがスマホの所持を禁止されたり、門限が厳しかったり、かなり自由は制限される。特にスマホは現代において、「つながり」の生命線だ。その制限に強い抵抗を示し、入所をためらう人は少なくない。
女性たちが自立して生活していくためにも、婦人保護施設が他の地域の支援者や地域資源と連携していくことが望まれるが、これら安全性の確保と対立してしまうことがあり、時代のニーズに合っていない、制度の限界であると言われ続けてきた。母子が一緒に暮らせる公的な場所、母子生活支援施設も、特定妊婦のニーズは増え続けているにもかかわらず、子どもが生まれてからしか入れない場合が多く、出産前に使えるところはほとんどない。
妊娠をして、頼る人もおらず、お金もなく、働けず、家もない人が、勇気を出してようやく相談に行った行政の窓口で、「じゃあ産後に来てください」と言われたら。絶望ではないだろうか。それ以上相談する気も失せてしまうかもしれない。
困りごとを抱えた妊婦にしてみたら率直にとても「使いにくい」制度しかなかった中で、この妊産婦等生活援助事業は創設された。その発端について、こども家庭庁 支援局家庭福祉課の胡内敦司さんは、0ヶ月0日児の虐待死について触れる。
「少子化が進んでいるにもかかわらず、1年間で70人以上の子どもが虐待で命を絶たれている状況が変わっていかない。どうすればいいんだというのが問題意識としてありました。現場で支援されている方々との意見交換などを通じて、妊娠した女性がそもそも相談につながらない、相談したけどその後につながらないということがわかったんです。信頼できる人や場所に出会うことなく、最終的に命を失う選択をせざるを得ないような方がたくさんいらっしゃることが見えてきました」