人間関係を基盤に危機も成果に
その姿勢は吉村の「危機を成果に変えてきた」リーダーの姿とも重なる。吉村の初当選はリーマン・ショックの翌年、2009年。東北地方で初の女性知事となった。就任後は、雇用危機への対応に注力し、人口減少対策として、子育てしやすく働きやすい環境を整えようと、山形県庁で初めて女性部長を誕生させるなど、女性活躍の推進にも力を入れた。そんな矢先、11年に東日本大震災が起きた。「被災地の隣県として避難してくる人たちを受け入れないといけないと思いました。副知事に『トップは動かないで』と言われましたが、そのときばかりは『動かずにいられません!』と返して、当初山形にいなかった放射線の専門家を派遣してもらえるよう政府に要請しました」。そして専門家に県内の保健所や病院を回ってもらい、1日に1000人以上の避難者を福島県から受け入れる態勢を整え、全国でもいちばん多くの避難民を受け入れた。「放射能の風評被害が心配で牛肉を買うのがこわい」と県民の主婦からの声を聞いたときには、県内のすべての牛を一頭一頭調べる全頭検査を全国でも先駆的に実施した。さらに、震災がれきの受け入れも誰も手を上げないなか全国で最も早く表明した。
吉村は当時をこう振り返る。「効率や成果だけを重視するのではなく、県民や消費者がどう思うかをまず考えました。例えば、牛肉の放射能検査は本来は同じ餌を食べている牛を一戸一頭検査すれば安全であることはわかります。ただ、消費者の安心を優先したときに、この肉、この牛がどうなのかが気になると思うのです。結果的には同じでも、不安に思う人たちに寄り添い、ケアをしていくことが必要なのです」
先の見えない時代に人々がリーダーに求めるのは、吉村のその姿勢なのかもしれない。現地に足を運び、現場の声を吸い上げ、彼らの思いに共感する。そして、リアリティのある言葉で伝え、共感の輪を連鎖させ、数多くの人の心も動かす。吉村が語った「これからのリーダーのあり方」もそれにつながるといえるだろう。
「生物は強いものではなく、変化に対応できるものが生き残ってきました。リーダーは、視野を広くもち、新しいことをいとわず、積極的に取り入れないといけません。そのためには、現場に近い職員や県民の意見を尊重し、能力がある人がそれを発揮できるような環境にしていくことが大事になると思います」
こうした考えをもち、普段から現地、現場で対話を繰り返し、信頼を寄せられているからこそ、難局にぶつかったときにも、対立せずに周囲が協力してくれ、変革につながっていく。人間関係構築力とも言い換えられる、彼女のような「新しい統率力」があるリーダーこそ、今必要とされている。
取材終わりに、吉村が差し出してくれた紙袋には「つや姫」が入っていた。「山形県の食文化は本当においしいものばかり。つや姫だって山形県民みんなが『おいしい』と宣伝してくれたから広まった。本当においしいから食べてみてください」。そう話す吉村は、主婦視点ではなく、みんなで変革を推進する主導者のようだった。
よしむら・みえこ◎1951年、山形県生まれ。74年お茶の水女子大学卒業、リクルート入社。2000年に山形県内で行政書士開業。この間、山形県総合政策審議会委員をはじめ、山形県教育委員会委員などを歴任。2009年に山形県知事に就任し、現在4期目。