ドゥホーブノスチに満ちた軍隊では、神によって存在が定められ、ロシア人の誰よりも大きい共同体国家に奉仕するために、兵士は命令に従い、自らの命を危険にさらす。
「兵士の士気に関するロシアのモデルでは、協力の精神、つまり感情ベースの共同性に重点が置かれる。戦闘のさなかにこのモデルが機能するには、この精神が(軍全体に)存在することが必要になる」スウェーデン国防研究所(FOI)の最近の研究でパール・グスタフソン・クルキはそう説明している。
たばこの兵士は卑劣にも戦友を裏切り、ドゥホーブノスチを嘲ってみせた。クルキの論文を読めばそれが驚くにあたらないことがわかる。そこでのドゥホーブノスチは、戦場で流された血で肥やされたロシアの大地から有機的に成長したものではない。それは腐敗した動機をもつ独裁体制の隠れ蓑であり、精神的なものではまったくないのだ。
「ロシアの精神性のポイントは、兵士に戦争反対の声を上げさせないようにする手段としてイデオロギー的な機能を果たす点だ」とクルキは喝破している。ロシアの兵士がおおむね命令に従っているのは、それがこうした意味で「精神的な」義務でもあるからだ。
だが、ロシアの「精神主義」が本性をさらけ出すときがある。今回、ロシア軍の連隊が極寒の前線に兵士2人を無防備なまま置き去りにし、ウクライナのドローンからの擲弾というかたちで死をもたらしたのもその一例だ。そのとき、少なくとも1人のロシア兵は、より大きな善の観念も義務もすっかり放棄してしまった。
彼には頼るものがなくなった。そばにいる戦友への愛があれば、奮起して戦い続けようとしたかもしれないが、それもなかった。
彼はたばこを吹かし、ドローンを仲間の兵士に向かわせた。
(forbes.com 原文)