さらに重要なのは、新たな技術の導入に伴うリスクを完全にゼロにすることはできないという事実を受け入れることだ。アジャイル・ガバナンスは、絶えず試行錯誤を繰り返し、ガバナンスやルールの軌道修正を行っていく仕組みだ。小さな失敗は付き物だ。企業や市民には一定のリスクとの共存が求められる。
こう言うと、市民からは「企業は市民にリスクを押し付けて、自分たちは利益をもっていくだけじゃないか」といった批判が出るかもしれない。また、物事に迅速に対応するには個々の主体が行うガバナンスをその都度調査しなくてもいい仕組みを整える必要がある。そこで必要になるのが複数の階層(マルチレイヤー)ごとに信頼の基盤を設置することだ。
具体的には、技術の開発や運用の段階がひとつ目のレイヤーだ。例えば、利便性を高めるために関連技術や商品、システムとの互換性が得られるようにするには、ほかの企業や業界、規制などとの間で調整や連携を図りながら信頼性を高めていく必要がある。
技術の実用化後に生じかねないリスクを市民や地域でコントロールするためのレイヤーも必要だ。ここでは企業と市民・地域との間で意見交換をしたり、企業に説明責任が求められたりする。その先に一般ルール化や法整備などのレイヤーがある。そこでは、企業の信頼を確保するための法的責任制度の整備なども重要な意味をもつだろう。このように、レイヤーごとに信頼の基盤を構築できれば分散型のガバナンスが可能になる。
アジャイル・ガバナンスはさまざまな階層のステークホルダーを巻き込んだり、つながったりしながら展開していく仕組みだ。だからこそ、一人ひとりが統治の主体であるという認識をもつことが重要になる。言い換えれば、それは「自分がやりたいことは何か」「幸せとは何か」をより深く考えることと同じだ。
一人ひとりの価値観や考え方は異なるため、衝突することもあるだろう。しかし、いいアウトプットはぶつかり合いのなかから生まれてくる。自分の目標や幸せを実現するためにも、衝突を恐れず、社会やルールのあり方に積極的に働きかけていくことが大切だ。現時点では、誰にも正解はわからない。だからこそ、対話を重ねながら行動し、それぞれが主体的に学び続ける姿勢が求められる。
稲谷龍彦◎広島県生まれ。京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了後、仏パリ政治学院や米シカゴ大学、理化学研究所客員研究員などを経て21年3月から現職。経済産業省「Society5.0における新たなガバナンスモデル検討会」メンバー。法務博士。