ドイツ代表戦、トルコ代表と対峙した、三笘薫、伊東純也、久保建英、鎌田大地、富安健洋あるいは遠藤航といった選手から、「経験」という言葉を感じたのだ。
Jリーグが始まったのは、いまから30年前の1993年だった。20代、駆けだしの週刊誌の編集者だったぼくは、サッカーの記事の担当となり、さまざまな外国人選手に取材したものだ。
当時、定番の質問の1つは「日本と世界の差」だった。ジーコ、ドゥンガ、レオナルド、ジョルジーニョ、あるいはイタリア人のトト・スキラッチたちはぼくの質問に同じ答えを返した。「経験が足りない」である。
日本代表に希望の光が見えた
1998年のフランス大会まで、日本代表はワールドカップに出場したことがなかった。「どうすれば世界に追いつくことができるか」という問いに対する答えをみなが探していたのだ。恐らくジーコたちは他でも同じ質問を何度も受けて辟易としていたと思う。そして30年が経ち、日本のサッカーはさまざまな「経験」を積んだ。ロスタイムに同点となり94年ワールドカップ出場を逃した「ドーハの悲劇」。98年フランス大会での異常ともいえる熱狂ぶりと惨敗。自国開催の2002年ワールドカップでのグループリーグ突破──。
サッカーに限らず、どのようなスポーツでも、設備、育成への投資を継続すれば、ある程度の水準までは長足の進歩を遂げる。しかし、日本代表が2002年、2010年、2018年、2022年のワールドカップで、ベスト16で足踏みしているように、頂は見えてからが遠く、道は険しい。
ただ、4得点して勝利した今回のドイツ戦とトルコ戦の2試合を見る限り、日本代表は希望の光に包まれている。次の大会ではベスト8の壁を越えられるかもしれない。
ただし、1つの条件がある。
プロフェッショナルなサッカー選手には「値札」がついている。値札には、年齢や伸びしろも含まれており、値段イコール現状の能力ではない。ただ、ある程度の目安になる。