幻のソニー、Apple買収
いつもように、ソニー製品であふれている部屋で雑談をしている最中、ジョブズが言うのだった。「ソニーはAppleを買わないか?」。ジョブズの口ぶりは半ば冗談のようでもあったが、冗談で口にするような話でもなかった。出井は、条件次第だろう、と答えたがAppleを去ったジョブズが勝手に売れるもんではないだろうと、指摘すると、ジョブズは、「それは大丈夫だ。俺が言えば、問題はない」と言い、まったく気にするふうはなかった。
ただ、その言葉についでジョブズは、条件があると言い添えた。
「エレキの責任者を僕にやらせてほしい」
エレキとは、エレクトロニクス部門のこと。当時のソニーの“心臓部”だ。それを任せるのがソニーのApple買収の条件だとジョブズは言うのだった。
「それはいいアイデアだ」
出井はこう言い返すとにっこり笑った。
ただ、ジョブズの真剣さがいまひとつ測れなかった。創業者とはいえ、Appleを去ったジョブズのAppleをコントロールする力が果たしてあるのかどうか。出井の疑問は残ったままだったが、一応、社長の大賀にApple買収をそれとなく打診してみた。
大賀は即決だった。
「あんなボロ会社はいらない」
出井もそれ以上、深追いしなかった。
ピクサーは翌1995年、世界初の3Dコンピュータ・アニメーション『トイ・ストーリー』を公開し、空前の爆発的なヒットとなった。それを手土産にジョブズはAppleに復帰する。
コンピュータは動画、画像、音声、通信のすべてを取り込んでいった。ソニーは、カセット、CD、ディスクといったパッケージメディアで世界の覇権を握ったが、Appleに復帰したジョブズが繰り出した「iPod」、「iTunes」でCD、MDも印籠を渡され、そして「iPhone」で完全に沈黙させられる存在となった。
それでもジョブズはソニーを愛し、一時は真剣にソニー買収を検討したほどだった。
創業間もなかったAppleは、コンピュータ業界の巨人IBMに戦いを挑み、パーソナル・コンピュータの分野を開拓し、その分野で圧倒的な勝者となってしまった。
それは経営者のスタイルも変えてしまった。1970年代のヒッピーかと見まがういでたちのジョブズの登場は、ひらめきと芸術性がなければ経営者にはなれない時代の幕開けだった。
しかし、ジョブズの真骨頂は、そのあきらめない情熱にある。普通の人ならあきらめるところを、ジョブズは破格の熱情で自らを鼓舞し、あきらめという言葉を自ら葬り去った。「成功する者は自分がやっていることを愛している。愛しているからこそ、続けられる」