山梨県がブランド魚「富士の介」が示す、養殖魚のレベルアップ

鈴木 奈央
日本人は古くから魚を多く食してきた国民である。昨今では魚といえば海の魚を真っ先に買い求めているが、歴史を辿れば、川や湖、田んぼで獲れる淡水魚に親しんできた。そうしたこともあってか、ウナギはもちろん、渓流に住むヤマメやイワナなど多くの淡水魚が養殖されている。

しかし何と言っても最近の人気は、生食用の大型マス類、いわゆるサーモンだ。全国各地で盛んに生産されているその多くはニジマスだが、産地の名前をつけた「ご当地サーモン」の、なんと多いことか。「ご当地サーモン養殖地図」(2023年)を見ると驚かされる。

ところで、サケとマスは生物学的には同種なのか? 一般には河川、湖沼で一生を過ごすサケ科魚類をマスと呼び、海で成長するものはサケと分けているが、その区別には例外も多く、呼称は渾然としているのが実態だ。

ただ、消費者としては、ノルウェー産アトランティックサーモンやチリ産ギンザケなど、わかりやすく脂がのった輸入もののサーモンを購入する傾向がある。また、日本人にとって、海水魚であれ、淡水魚であれ、長らく天然魚が身近な存在であったため、養殖ものは天然より劣るというのが一般的な考えで、未だに天然魚信仰が強い。

そこで全国各地の養殖場は、食味を上げるなどさまざまな努力を重ねてマス類を育てている。そのような流れのなか、プレミアムなマス類の淡水養殖魚として、見事に成功を収めた例が、山梨県が開発した「富士の介(ふじのすけ)」だ。

キングサーモンとニジマスのいいとこ取り

「富士の介」とは、サケの仲間の中でも最高峰の食味を誇る「キングサーモン」(和名マスノスケ)を父親に、卵が多く採れ、育てやすさでナンバーワンの「ニジマス」を掛け合わせたものだ。これは国内初の試みであるばかりでなく、世界にも類を見ない例である。平成19年に山梨県の水産技術センターが開発の研究に着手し、令和元年出荷にこぎつけた。

キングサーモンと聞くと、脂ののった大きな鮭をイメージすると思うが、淡水で育てると、成魚になってもせいぜい50cmと大きくならない。警戒心が強く、繊細な性質でニジマスほど旺盛な食欲がない。富士の介はその性質を受け継いでいるため、優れた食味を持つ一方で、出荷までには約3年以上を要し、ニジマスに比べると育てるのに大変手間がかかるという。

今回、取材で訪問した山梨県の水産技術センター忍野支所は、豊富な富士山の地下水(伏流水)をポンプでくみ上げ、飼育池にかけ流しながら富士の介を飼育している。聞けばここでは、餌の残渣や糞などは取り除いた形で川に放流する「飼育排水」を実行し、近隣の環境にも配慮している。

驚いたことに、万が一にも逃げ出したときに自然界で繁殖しないために、「富士の介」は不妊化されているのだそう。受精卵を26℃のぬるま湯に短時間浸けることで、本来2セットだった染色体が3セットになり、生殖能力を持たない魚になる。これを三倍体と呼ぶ。三倍体にすることで、生殖のために体の栄養を取られて身が痩せることもなく、通年安定した身質で出荷できるというメリットもある。
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文=小松宏子

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