人工知能は人間を代替できるか
井上:大澤さんのいう本質的な問題でいうと、人工知能が人間と比べて足りないものは、さきほど話した体験のほかに、意志と価値判断だと思っています。いまのところ、人工知能は指示待ち人間なんですよね。「この問題解決のためにプロジェクトを立ち上げます」とか「会社を立ち上げます」といったことはやらない。だから能動的な意志はないんですね。価値判断については、人間は森羅万象に対して、美醜や善悪、好悪の判断が下せる。でもAIに画像を見せて感想を求めても、せいぜいネットから似たような画像の感想を引っ張ってくることしかできません。価値判断のオリジンがないわけです。そういう意志や価値判断をAIに実装する方法はわかっていません。大澤:体験や意志、価値判断があるというのは、生きているということですからね。自分にとっていいものか、よくないものかが非常に重要で、言葉はその後に出てくるものです。でもAIにとって、生死は関係ない。大体、自分が生きているということを知っているとはどういうことなのか、僕らもよくわかっていないじゃないですか。
三宅:おっしゃる通り、人間は生きることがあって、それから意思決定や価値判断があり、最後に言葉が出てきます。それに対して、ChatGPTのようにディープラーニングをするAIは、表面的には人間っぽく言葉を操っているように見えるから、その奥にも人間と同じような価値判断があるように思える。でも表面だけ模倣しているAIはあくまで弱いAIです。
井上:ただ、大澤さんがさきほど言ったように、仕事面での影響はかなり大きく出てくると思います。例えばいま、20~30人でつくっていたソフトやアプリが、2~3人で済むようになる。その未来の姿を僕は考えたときに、アイデア即実装みたいな感じなんです。どんなアプリでも、アイデアさえあればすぐにつくれるような世界になるでしょうね。
他にもホワイトカラーの仕事もかなり取って代わられそうです。プレゼン資料をつくるとか、何か調べてきてリポートをまとめるとか、これまで達成感があると思われていた仕事だってAIのほうが上手い。
大澤:資格や大学での専門的な勉強が必要な仕事ほど、AIで代替できる傾向が強まるでしょうね。普通、資格や専門的な知識があると、誇らしい気持ちになるじゃないですか。それをAIができるようになると、自分のやっていることに何の意味があるのかと、アイデンティティの危機を感じる人も増えるでしょう。囲碁の世界チャンピオン、イ・セドルもAIに負けて引退してしまいましたよね。
過剰模倣が「オリジナル」を生み出す
井上:アートでも、音楽や絵画はAIでけっこういいものができてしまう。アメリカでは、美術コンテストでAIでつくった絵画が優勝したぐらいです。それでも、今のAIは原理的に革新性のある作品を作ることができないのです。また、音楽や絵画に比べて、小説や映画は人間の体験や価値判断を差し挟む余地がありますから、その点では人間の優位性が保たれやすいでしょう。今後は、AIではつくれないオリジナルなものをつくっている人が、尊敬や称賛を受けるようになっていくような風潮が強まっていくかもしれません。