それがいまでは、ゲーム機にパソコン、モバイル機器と、さまざまな端末でゲームを遊べるようになった。グラフィックスはリアルさを増し、プレイヤーは広大な仮想世界にどっぷりと没入できる。プレイヤーの選択次第で結末が大きく変わるゲームもある。
いまどきのゲームに見られる大きな特徴の一つが、すぐに満足感が得られるところだ。一昔前のゲームでは、先に進むためには多大な時間と労力を注ぎ、ゲームの仕組みを学び、パズルを解き、コントロール方法を熟知しなければならなかった。これにより、一昔のゲーマーには粘り強さがあった。時間をかけ、全力を尽くし、失敗を重ねた末、ようやく成功することで、大きな満足感が得られることを学んでいた。
ところが、近ごろのゲームは、すぐに報酬がもらえたり、ショートカットがあったりして、以前ほど努力しなくても先へと進めるものが多い。それは、筆者の息子を見ているとわかる。息子は、古いゲームを試したがるものの、ひとたび遊び始めると、セーブポイントがまばらにしかなく、満足感が得られる場面もかなり少ないため、すぐに諦めてしまう。
息子はよく、「ゲームで何も進まずに時間が無駄になった」とこぼす。しかし、時間は無駄になどなっていない。うまくいかない方法を17種類も見つけ出したのであり、これは「失敗を通じた成功」だ。
ゲームが簡単に満足感を得られるものへと変化したことで、子どもには悪影響が及ぶ可能性がある。そしてその影響は、子どもが成長する中で、常に付きまとうかもしれない。何をする場合でも、粘り強く努力する必要なく、すぐに報酬が得られるはずと期待するようになりかねないのだ。
社会人になったあとも、働いていれば、パフォーマンスの良し悪しにかかわらず定期的に評価されるのが当然だと考えてしまうかもしれない。そうした姿勢は、評価や報酬という概念の価値を下げることになるだろう。それに、粘り強さがないため、問題が起きればたちまち諦めてしまう可能性だってある。先へと導いてくれる助けがないときに、自力で解決策を見いだすことはできるのだろうか。
保護者は、こうした状況を意識する必要がある。そして、子どもがゲームをしない時間を確保し、粘り強さや、努力する姿勢を学べる活動に参加できるよう、配慮しなくてはならない。