無人島に流れ着いても絵を描き続けるか
私は強いモットーや座右の銘があるわけではないが、それでも信念めいた何かを捻り出すのなら「自分のことを信じすぎない」だと言えなくもない。私は中学・高校時代は美術部に入って油絵と漫画を描いてばかりいる青年だったが、大学では演劇サークルに入って舞台美術や宣伝美術をする傍ら、個人制作アニメーションを作っていた。学科の専門はコンピュータサイエンスを専攻しプログラミングが好きだった。今は広告会社でデータサイエンティストとして働いている。自分がある瞬間にはこれが面白い、こういうことをやっていたいと思ったとしても、自分の面白いと思うことはどんどん変わるし実際そうやって生きてきた。だから本当にこの道で合っているのだろうかと悩むことは少なく、その時々で面白いと思うことに集中して、ある一定期間はフルコミットしながらも、興味の対象が変われば自分に縛られすぎず変えればいいと思っている。
私は1981~1996年に生まれた、いわゆるミレニアル世代だ。従来の世代よりも個を重視する傾向があり、働き方も多様になったと言われる。実際、同世代の友人・知人で起業したりスタートアップに転職したりする人たちも少なくない。私たち以降の世代では、さらにその傾向は顕著だろう。一方私は会社に属しながら独立遊軍のような働き方をしている。
よく「なぜ篠田さんはまだ会社にいるのですか。独立はしないのですか」と聞かれる。私は瞬間瞬間で技術的な興味や惹かれるテーマはあるが、使命感として一生を懸けてやり続けたいということがない。だから逆に使命感を持って何かをやっている人たちをサポートできる仕事が自分には合っていると思う。そのためにプログラミングやデータ分析、プレゼンテーションや執筆含めた表現など専門的なスキルを高めていたいとは思う。
だから、私はものすごく自分にしか興味がないような人間とよく誤解されながらも本質的に他人に依存している。無人島に流れ着いても絵を描き続けるかと問われるとストイックには描けない(私は実際に趣味で油絵を描くことが好きだが、ここでは「無人島で絵を描く」というのはある種のメタファーだと思ってもらいたい)。
誰かに見てほしかったり誰かの役に立ったりする過程で結果的に自己成長があることがモチベーションになるタイプの人間だ。自分の中に渦巻く混沌とした情念が他人との関わりによって部分的に照らされてある瞬間ではその照らされた方向に進んでいく、そのような考え方・生き方を対話式イグニッション法と呼ぶことにした。
ノイズを徐々に除去していき新たなものを生成するモデル
「対話式イグニッション法は生成モデルのひとつであるDiffusion Modelを参考にして考案された」
「生成モデルとは新しく絵などを自動生成するAIのことですよね」
小池くんが聞いた。
渡辺くんは「生成モデルではGAN(Generative Adversarial Network。敵対的ネットワーク)が有名でしたよね。GANは画像を生成するネットワークGenerator(生成器)と、画像がGeneratorから生成された偽画像か本物の画像かを判定するDiscriminator(識別器)の、2つのモデルを学習することで本物に近い画像を生成するものですが」と言った。
私は頷きながら「その通り。一方でDiffusion Modelはあるデータに徐々にノイズを加えていけば最終的にランダムノイズになるという前提で、その逆プロセスを学習させることで新たなデータを生成するモデルとなる」と答えた。