確かに日銀の植田和男総裁は就任してから80日ほどしかたっていないし、G7(主要7カ国)では為替管理はまずもって財務相が責任を負うものとされがちではある。
とはいえ、現在の気がかりな円安は、リーダーシップの空白を突いてずるずる進んでいる形になっている。日本の鈴木俊一財務相は職務を「離脱」しているのではないかとすら思ってしまう。岸田文雄首相は、状況に気づいていたとしてもあまり口出ししない。なので、トレーダーたちにこんなメッセージを送ることになる。「どうぞ、円を押し下げ続けてください」
いったい、この危機感のなさはどこから来るのか? 1つには、円安への誘導は過去30年にわたって日本の経済政策の中心だったという事情がある。
日本では1990年代初めの宮沢喜一から現在の岸田まで、16人が首相を務めたが、この間、円安を歓迎しない政権はほとんどなかった。日本は円安によって輸出エンジンを活性化し、それに米国やドイツから不満の声が上がるのも当然だった。
しかし、いまの円安政策は行き詰まると考えられる理由がいくつかある。
まず日本が目下、過去40年で最悪のインフレに見舞われているということ。これはエネルギー価格や食品価格の高騰が主な原因であり、円安が進むほど消費者の生活は圧迫され、輸入企業の利益も蝕まれる。
また、隣の中国も自国通貨安に誘導できるということもある。アジア最大の経済規模をもち、アジアで群を抜く貿易額をほこるだけに、中国はそれを日本以上に効果的にやるかもしれない。人民元はすでに下落圧力にさらされている(年初来5%ほど下げている)。中国の経済成長率が鈍るなか、習近平国家主席が円との通貨下落率レースにゴーサインを出すことも考えられなくはない。
加えて、年初来9.4%も下落している円をめぐっては、物理学者アルベルト・アインシュタインによる「狂気」の定義を思い出してもいいだろう。
アインシュタインはかつて、狂気とは同じことを繰り返しやって違う結果を望むことだと言った。日本の過去30年の経済政策はまさにそのようなものだった。1990年代以来、日本の歴代内閣は、一段の円安によってこそ、競争力向上や賃上げは達成できると考えてきたのだ。
日本にとって円安は、1990年後半から2000年代初めにかけての不良債権危機から抜け出す方策であり、デフレを終わらせる最も重要な戦略でもあった。
2012年に発足した第2次安倍晋三内閣も、イノベーションの活性化や生産性の向上を円安を通じて実現することをめざした。その後、中国の優勢が強まるなか、安倍も後任の菅義偉も岸田も、円安による輸出促進で日本の経済力を維持しようとしてきた。
円安への執着の大きな問題は、経済学でいう「機会費用」(ある選択をすることで失われる利益)にある。日本は為替政策を優先させたために、規制改革やイノベーションの促進、生産性の向上、女性へのエンパワーメントといった課題への対応が遅れた。
企業も手厚く保護され、トヨタ自動車やソニー、東芝といった大手企業は1980年代の輝きを取り戻そうとする意欲をそがれた。企業価値が10億ドル(約1440億円)以上のスタートアップ「ユニコーン」の輩出ではインドネシアやベトナムにも遅れをとった。