それは、人間がこれまで語ってきた物語の総体である。──などと言ってもよくわからないかもしれない。実は僕自身がちゃんとわかってそう書いたのか疑わしいところもある。けれど、そう思えてしかたがない感覚を文字に記すと上記のようになるわけだ。
僕はときどき教師の立場で若手のストーリーメーカーたちにハウツーを教えることがあって、彼らには「シナリオを書けるようになるためには、映画をたくさん観なきゃいけないぞ」などと言う。これはまあ常識だ。
続いて「ただたくさん観ればいいってもんじゃない。これだと思った映画、ここからなにかを学びたいと考えた作品については、何度も観るほうがいい」とも言う。
そして、「個々のシーンの『この作品でこういう場合はこのように展開している』というパーツを自分の頭の中でデータベース化しろ。そして、自分が書くときは頭の中のデータベースを参照にしながら書いていくという感覚を身につけろ」と言ったりしてきた。
ただ、本音を言えば、これはわかりやすいように言っただけであって、「人類がこれまで語ってきたありとあらゆる物語につながれ。その能力を獲得せよ」が本当に近い。
シュヴァルの理想宮からの学び
1879年、フランス南部の片田舎で、空想癖のあるシュヴァルという名の中年の郵便配達員が石につまずいた。彼はそのつまずいた石からなんらかの天啓を受け取った。それからというもの彼は、郵便配達の途中で、気になった石を拾ってはポケットに入れ、仕事が終わってからも台車を転がしては石を採集しに行き、それらの石を自宅の庭先に積み上げはじめた。
周囲から白い目を浴びながらも、いっこうに気にすることなく石を積み上げ続け、やがてそれは不可思議な建造物としての姿を現わしはじめた。そして33年後、シュヴァルの家は完成した。これが、アンドレ・ブルトンやピカソを熱狂させたことで有名な「シュヴァルの理想宮」である。
シュヴァルはこの建造に際して、設計図を持っていなかった。また、建築や石工の知識も皆無だった。彼はなにをもとにこつこつと石を積み上げていたのだろうか。おそらくそれは、住処というもののイメージの総体であり、そこから彼は自分の宮殿のイメージを抽出したのではないか、と僕は勝手に想像している。
物語を書くということは、この我々が生きる現実を書き換えるとことでもある。そのためには、そのときには、巨大で混沌とした総体を通過することによって、もう1つの現実につながる経路を開く。そのとき、あらかじめ用意した設計図や地図は放棄しなければならない。それを僕は「サイケデリック・マウンテン」を書くことによって学んだ。