キャリア・教育

2023.06.18 19:00

性善説でも性悪説でもない「性弱説」について考えて得た結論とは

自分の外にあるものを好きになる

最近、子供の教育においては「コンフォートゾーン」という言葉が、ビジネスにおける組織論の文脈では「心理的安全性」という言葉が注目されている。この2つの言葉には共通性があり、ある示唆を含んでいる。

それは、社会において、組織において、自らの生存が脅かさないという安心感のなかで、はじめて人は社会のこと、他者のことをしっかりと考えて、社会や組織の全体最適性に目を向け、行動できるということだ。

その結果として、心理的に生存を脅かされないという安心感が、個人にとっても、組織にとってもいい結果をもたらすのであろう。

ただ、「心理的安全性」という考えだけで十分かというと、どうもそうではない気がする。生存が脅かされないというだけで、生き生きと働けるのだろうか。成果をあげられるのだろうか。どうやら、そこにはもう少し飛躍する考えがある気がする。

そんなことを考えながら、また飲み会に繰り出すと、次のようなことを友人に言われた(念のため断っておくが、飲み会で毎回こんな小難しい話をしている訳ではない)。

「『子供に学べ』じゃない? 好きなことに集中していて、クリエイティブな子供を見ると、これこそ理想的だと思うけどな」

確かに彼の指摘する通りだと思った。著名なアスリート、高名な学者、成功した起業家など私が出会ってきた、客観的には成果をあげ、成功した人は、自らが行っていることを「好き」な人が多い。

「好き」だからこそ、それを原動力に努力をできたり、人一倍集中して取り組んだりすることができる。また成果をあげることができる。

これだけ聞くと、「好きなことを見つけるのが大事」みたいな月並みな自己啓発的な結論に陥りそうになるが、果たして「好き」なのは、自分がしていることだけなのだろうか。

組織で活躍している人を見ると、自らの組織、製品やサービス、同僚などを「好き」な人も多い気がする。必ずしも、取り組んでいることが「好き」でなくても、他のものを「好き」なことで成果が出せるのかもしれない。

ヒーロー映画でも、自らが持つ力を超えて力を出せたり、自己犠牲を伴う英雄的な行為ができたりする必要条件は「愛」だ。

「愛」までは重すぎるにしても、身の回りの何かを「好き」になることが、利己性を超えて、社会のなかで、組織のなかで、もっと生き生きと働くことができる第一歩なのかもしれない。

逆に言えば、転職をしたり、ジョブチェンジをしたり、リスキリングをしたり、「好き」と思える何かを探す努力が必要になってくるということなのだろう。

そして、組織の側から言えば、「LOVED COMPANY(愛される会社)」という概念も注目されるように、いかに社会から、そしてメンバーから愛される組織になれるかということは、いっそう大事なテーマになっていくのだろう。

本コラムに挿入している写真は、九州の屋久島で撮影したものだ。テーマは、「OBLIVION」。英語で「忘却」という意味だが、「日本人が忘れ去った原風景や自然美」を表現しようという思いで、未だ太古の自然が残る屋久島で撮影して、このタイトルをつけた。

この作品の裏にある思いは、世界でも類を見ない豊かな自然とともにあった日本という国、そしてそこで培われてきた日本という風土、日本人という精神性をもう少し現代に生きる私たちが肯定してもいいのではないかということだ。

自分の外にあるものを「愛する」ために必要なことは、まずは自分を「愛する」ことだ。「好き」を探す旅の結果が、世俗的にキラキラしたものでなかったにしても、仮に、資本主義的に、成功したと捉えられないものだったにしても。

そんなありのままの自分を、自分の「弱さ」を肯定することから本当の人生は始まるのかもしれない。私自身が、まだ「弱さ」を十分に受け入れられない身として、自戒の意味を込めて。
屋久島の夕焼け(写真展「OBLIVION」より) 

屋久島の夕焼け(写真展「OBLIVION」より) 

文・写真=小田 駿一

ForbesBrandVoice

人気記事